トラウマサバイバー、愛着障害者(不安・回避型)のつぶやき。
今日は分析ではなく当事者の日記です。
トラウマと向き合うのってどんな感じなのか、
愛着障害者ってなんでコミュ障なのか、ご興味ある方はご覧ください🙏
胎児の時に何度も死にかけながら苦労して生まれてきたら、
泣き声がうるさいと邪魔者扱いされ、
疲れ切るまで数時間泣いても食事を与えられず、挙句には暗いトイレに監禁され、
養育者が不在だったりたらいまわしにされて、
物心がつくずっとずっと前、
人間なんて信じないで自力本願で生きていこうと決めた。
それなのに、突然、「お友達」と仲良くしろと言われた。
付かず離れずだとうまくいくのに、距離が近づくと恐怖が沸き起こって、
その恐怖の記憶も幼すぎてはっきりしていなくて、
とにかく人間が怖かった。
あげくには保育園の「お友達」に殺されかけた。
でも不思議。
遺伝子に刻み込まれた「外向性」「好奇心」の強さのおかげで、
なぜか人間のことはとても好きだった。
愛されるということは経験がないから分からなくても、
愛するということは本能的に知っていた。
物心ついたときにはgiverになっていた。
親友ができても、親に対してしているように、
「私が相談に乗る側、相手が相談する側」という親ポジションでしか関われない。
信用したら今度こそ兵糧攻めされて社会的に殺されるかもしれない。
人間関係のデフォルトが「生きるか死ぬか」だったから、
それが友達だろうとなんだろうと見境なく恐怖だった。
社会で生きていくのは意外と楽だ。
どの人とも付かず離れずでいられるし、それに誰も文句を言わない。
仕事も楽だ。きちんとやっていればそれなりにうまくやっていける。
なにより、親密な関係は息が詰まる(生きるか死ぬか)。
適度な距離感の会社は本当に心のオアシスだった。
恋愛関係は特に困った。
私が親ポジションでいるうちはうまくいくのに、
いざ、自分が甘えてみようと思っても、境界性人格障害レベルのメンヘラになる。
結局、いまも、近づくと離れたり家出したりしてしまう。
この恐怖感は言葉にしても恐らく非合理的すぎて理解されないだろう。
愛とか信頼という言葉は、私の家庭では虚飾でしかなかった。
恥ずかしながら、愛という概念があまりうまく理解できない。
愛している、あなたのため、といいながら、泣き、怒り、罵られ、叩かれてきた。
世の中のすべての事象が、すべて矛盾して感じられる。
世の中を紡ぐたったひとつの共通言語は、論理と科学。
それ以外の感覚、感情、経験への言語、すべては誰かと通じ合うことは出来ない。
だから、
保育園の時に感情を感じて表に出すことをやめた。
小学生の時に妬むことと悪口をいうことをやめた。
中学生の時に勝ち負けにこだわることをやめた。
高校生の時に社会的経済的成功を追い求めることをやめた。
すべての我欲を手放すことでしか、「普通のひと」と関わることは不可能だと、
子どものくせに子どもをやらないで、悟りの境地に逃げていた。
記憶の彼方に忘却した小児期トラウマだったが、
私の「変な人」たる行動原理のすべてを支配していた。
でも身体は、「0歳のときに泣けなかったこと」を記憶している。
人間として最初の関門「泣くことでコミュニケーションを成功させ、ご飯をもらう」ことに失敗した。
面白いのはこれでTHE ENDではなかったことだ。
やりのこしの宿題は、トラウマとして身体に刻み付けられ、
いつか私という、地盤のゆるいハリボテのタワーマンションに欠陥が見つかったとき、
また帰ってくればいいよと言っているかのように、
ずっと私の体の中で待ってくれていた。
トラウマというのは、「いつか還るところ」だったのかな。
私は偽りだと思っていても、これまでの人生で多くの貴重な経験を得たのは事実だし、
私が怖がっているだけで多くの貴重な友と師を得た。
私が恐怖を受け入れれば、彼らと一緒に生きていける。
まずは、不安である自分を認め、時に涙と声を出して泣く練習から。
0歳からゆっくりやり直していきます。
瞑想して、
ヨガして、
あたためて、ゆるめて。
ハムりんたちに動物的素直さを教わって。
小さなしょうもない自分を愛し許し続ける日々です。






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