複雑性PTSDについて書くにあたり、まずは歴史上の偉人から紐解いてみようと思います。
大好きな新選組の、尊敬する沖田総司さんを「トラウマ」×「身体の病気」という視点から分析してみます。
沖田さんのプロフィール
<略歴>
3歳頃 両親亡くなる。のち、姉のミツ夫婦が面倒を見る
9歳頃 試衛館に内弟子として入門。沖田家困窮のためと言われる
19歳頃 京都に移り、浪士組→新選組へ。新選組では、副長助勤→一番隊隊長+撃剣師範など務める
20歳頃池田屋にて倒れる(原因不明)
23歳頃 病気が重くなり戦線を離脱する
25歳頃 肺結核により亡くなる(近藤勇の刑死のすぐあと)賢光院仁誉明道居士
→小児期トラウマ、度重なる死別と別離、殺人というPTSDがありそう?
<特性>
・普段は人当たりが良くて優しく、明るく、よく笑い、冗談を言う
・ひまがあると近所の子どもと遊んでいた
・幼少期から剣の腕前はずば抜けていて、特に俊敏さが凄かった(三段付き)
・剣の腕は一流、稽古の時は荒っぽく怒りっぽく容赦無かった
・平然と人を斬る
・近藤勇を父代わりのように懐いていた様子
・山南敬助は兄代わりのように懐いていたが、切腹時の介錯をつとめた
・あまり女性関係の噂が多く無かった
・何を考えているか掴めないキャラだった
→本心を見せない、しっぽを掴ませない、謎めいているけど人間不信っぽい?
<見た目(諸説あり)>
・写真が一枚も残っていない(写真嫌い?)
・肩が張り上がっていた(怒り肩)
・猫背だった
・エラが張っていた
→心の休まる時間が少なく、交感神経が過剰(過覚醒)状態だった?
なにかつじつまが合わないプロフィール
新選組をきちんと調べ始めたのが25歳頃。
そのときに、なぜか沖田さん、藤堂平助、伊東甲子太郎にひっかかりました。
三人とも「根が良い人そう」「努力家」なんですよね。
いまは病気の知識を得て、やはり沖田さんに抱いた
「なんか変だな???」
という直感は、複雑性PTSDという見えない病に抱いていた矛盾だったことに気付きました。
私が得た医学的知識をもとに、
沖田さんの生育歴、キャラクター、病気について考えてみます。
①小児期トラウマによる「矛盾したキャラ」
優しくて明るいけど残忍、というのは、トラウマ特有のキャラクターかもしれません。
子ども時代が過酷だと、誰かに頼って生きるという発想がなくなり、動物的になるので、
とにかく生き残るために残酷だろうとなんだろうと腕を磨きます。
「生きるか死ぬか」という本気の場面では手加減というものがありません。
ただ、平常時にはもともとのキャラクターに戻るため、ヘラヘラニコニコしています。
この生い立ちだけみると、自己肯定感や健全な自尊心が育めたとは思えません。
おそらく、剣は強いけど、すごく寂しくて自分に自信が無かったんじゃないかと思います。
銀魂の沖田総悟でもそうなっているけど、「見捨てられ不安」は強かったんじゃないでしょうか。
だからあまりエピソードや写真が残っていないのではないかと。
プライベートでも優等生をしていたのではないかと想像します。
②鍛えているのに身体が弱い
トラウマがあるのに頑張れるタイプの人は、解離している場合があるようです。
心と体を切り離すのです。
その結果、いくらでも無理が出来るし、トラウマがあるのに「いい人」でいられます。
「いい人」なのに残酷に人を切り捨てられます(現代で言うマキャベリスト)。
解離が解けた瞬間は、人間離れした身体能力が発揮されることもあります。
ただ、緊張した状態(交感神経優位)で固まっているため、呼吸が浅く、
夜もよく眠ることができず、疲れは溜まり続けます。
頑張ればがんばるほど病気になっていき、
その弱い身体にイラ立てばイラ立つほど解離は進みます。
結果として、本人は少しも病気だと思っていないのに、身体は限界を突破している状態がずっと続きます。
池田屋で倒れたとき、もし喀血していなかったとしたら、
解離性障害またはパニック発作の可能性があるのではないか、と思います。
その後の無理がたたって、結果として
沖田さんの場合は呼吸器系をこじらせてしまったのだと思います。
これが心臓の人もいるし、私の場合は婦人科系でした。
③感情を切り離す
平常時の人間にとって、感情を表すことは意思疎通の大事な手段ですし、
重要なストレスコーピングです。
ただ、社会的に圧倒的に弱い立場で子ども時代を過ごすと、感情はいじめられる格好の材料ですから、邪魔です。
だから感情というものを丸ごと封じ込めます。
なので、一見すると、ニコニコヘラヘラして、人当たりがよく、本心が見えない(我慢強い)人に見えます。
沖田さんが兄のように慕った山南さんを「斬った」あとの手紙を読んだ時、
なんとも言えない身体の感覚を感じた記憶があります。
長々丁寧な言葉で近況を書いたあと、最後にサラッと「山南兄が死んだ。以上」と締め括っていたのです。
日付を間違えるというのも解離症状にぴったり合います。
当時の私は解離なんていう言葉も概念も知りませんでした。
でもその気持ちは感じました。
気が狂いそうになる辛さを必死に脳内で無かったことにしている感じ。
④トラウマの人の愛し方、愛され方
厳しい子ども時代を送ると、「常に何者かであり、常に成果を出す」という状態でないと、周りから愛されません。
だから必死で愛されるために技を磨いて努力します。
普通の子が母親に甘えている頃、トラウマの子どもは道場の雑巾掛けをしています。
内弟子ですから小僧さんみたいな立場からスタートしたと思われます。
そしていつか「何者かになったら愛されるはず」という唯一の希望を胸に生きていたのではないでしょうか。
でも、沖田さんは何もかも犠牲にして腕を磨きに磨いたけれど、
近藤の寵愛はきらびやかな女性たちや、土方や、権力に行ってしまった。
愛されるために剣術を学んだのに、所詮人を殺す役目しか期待されていなかった。
親の後ろ盾があれば名門道場に鳴り物入りで弟子入りできたかもしれないけれど、
所詮内弟子からスタートした身分。
京都で人殺しの役割に徹するしか生き方が分からなかったのではないでしょうか。
⑤病気にならなければ、一生「道具止まり」
「優しい自分」を殺して、人を殺して、ついに「父」のために「兄」まで殺した。
ここで沖田さんの解離は完成し、あとはただ人殺しの道具として生きる運命しかないことに絶望したのではないでしょうか。
一部のサイコパスは大量の人殺しも難なく出来るのでしょうが、
元のキャラクターと処世術用のキャラクターが違いすぎると、
封印された「優しい自分」が、「道具となった自分」を止めようとします。
「止める」という行為の具現化のかたちが、慢性疾患であると、私は思っています。
つまり、病気でもしないと延々と辛い思いをし続けなければならないし、
本人にも解離という病識がないので、いくらでも辛い場面に飛び込んでいってしまう。
だから身体に封印された人格が、すぐには死なない程度の病気にさせて、
暴走列車を捨て身で止めに行くのです。
沖田さんについては想像ですが、私は間違いなくこのパターンでした。
⑥病気になって初めて「弱音が吐ける」
いつも強く明るく優しくいい子ーー都合の良い人でい続けた人は、
都合が良い人として利用されまくることを快感だと感じます。
でも、いざ病気になって倒れてみると、みんなが心配してくれます。
命を危険に晒してまで役割を演じなくて良いのです。
これはプライドが傷ついて辛いけれど、隠していた本能レベルで、なんだかんだ安心します。
だから、「治りたくない」「もう戦いたくない」と深層心理で思ってしまった可能性はあると思います。
これがトラウマの人の病気が治らない本質ではないか、と思います。
以下、歴史ファンの完全な推測です。
沖田さんはもともとの優しく真面目な性格から、人殺しが嫌だった。
でも、父代わりの近藤の側にはずっといたかったし、心配されるのは心地良かった。
その折衷案として「無意識の身体の人格」が提示したのが、
人殺しはできない程度の長きにわたる病と、屯所での療養生活だったのではないか?
普段あまり涙を見せなかったという沖田さんが、
近藤との最後の別れのときには泣いて弱音を吐いたと言います。
ただ、解離してまで強がっている人が弱音を吐くときは、
解離して無理し続けている人格が限界を突破し、
命が尽きかけていることを意味します。
すなわち「死ぬ」か「生きたまま生まれ変わるか」の究極の二択を迫られています。
沖田さんは、生きる意味そのものである近藤の死を悟り、おそらく生きる意味と役割をまっとうしたと感じ、病気で静かに亡くなることを選択したのだと私は思います。
これはもちろん百人百様の解釈があると思うので、私見を述べるに留めます。
⑦回避的なので人間関係に深入りしない(できない)
イケメンではなかったようですが、浮いた噂が少ないのでも有名な沖田さん。
他の行動からも回避依存症体質だったと思われるので、
恋愛には積極的で無かったのかもしれません。
解離していたとしたら自分の気持ちにも鈍感になっています。
それこそ「絶対的に信頼している人」以外には心を開きたくないタイプだったかもしれません。
残っている手紙も、土方は色恋自慢や自己アピールがすごく多いのに対し、
沖田さんの手紙ってなんとも事務的というか必要最小限というか殺風景というか……。
字の書き方もすごく投げやり(?)な印象を受けます。
考えたくないからザザざざっと書いたよ! 終わり! もう考えたくないから忘れさせて!
と心の声で言っているように感じたのは私だけでしょうか。
後世にはこんなに有名になってしまったけれど、
ご本人にはあまり出世欲とか権力欲がありそうな感じがしないですよね。
一般的には静かに療養していた時代を「不遇だ」と決めつけますが、
不思議と私はそう思いません。
静かに暮らせるようになって、一時期は近藤とすぐ側で療養生活が送れて、嬉しかったんじゃないかなと思います。
現代の虐待児もそうです。
小さい頃から「厄介者」として人のお世話ばかりして生きてきたのに、
やっと人間らしい、衣食住の世話をしてもらえる暮らしができるのです。
しかも、おおっぴらに「わたしは不幸だ!」と言っていい権利がもらえるのです。
であるからこそ、トラウマの人の病気というのは難しい。
病気になることに人生最大級の意義があり、
病気に安住してしまうと「不幸な幼少期」は終わりません。
幼い頃から「強くなければ生きていく資格が無かった人」にとって、
「弱くてもいいから静かに生きる」ことは想像がつかないほど難しいことで、
病気というのは最初で最後の逃げ道だということを知っていただきたくて、
偉人の威光を借りてご紹介させていただきました。
これから解離と身体的病気という少々厄介な概念を、
私がどう治していったかに沿って書いていきたいと思います。
コメント
修悦な記事ですね。純粋に楽しんで読みました。