私は様々な病を抱えていましたが、それらを少しも実感していませんでした。
強く強く解離し、心と身体感覚を切り離していたからです。
身体の辛さも、痛みも、恐怖も、ネガティブ感情も、すべて切り離して、
論理と科学と空想と創造と成長と努力という世界に生きていました。
おかげで「私はちょっと変わっている程度の普通の女子」と思い込んだまま、
多くの友、仕事、学業、環境に恵まれ、支えられて生きてきました。
ずっとそうやって生きられれば良かったのでしょう。
でも、加齢と父の死によって、抑えてきた「トラウマ」という傷ついた本体を抑えきれなくなりました。
虚脱し、意識もなく、ただ眠っているのか、起きているのかも分からない状態まで、年単位で落ちました。
生きているのか死んでいるのか、何かを考えているのか考えていないのか、
それすらも分からないほど虚脱=「うつ(鬱)」は深刻でした。
そのとき思ったのです。
「ああ、わたしはきっと、人生の裏技を総動員して、本来は無理だった人生をやり抜こうとしてきたんだな」と。
ネガティブな過去の記憶はまるごと消えていましたが、ぼんやり感じたのです。
「もう、潮時だ。魔法は解けたんだ」と。
そこで二つの選択肢が現れました。
・このままこれまでの「裏技的生き方」に固執し、身体がいくら言うことを聞かなくても、多少人格障害者として迷惑をかけても、努力と成長と論理の世界に生き続ける
か
・現実の「人間」という世界へ戻り、裏技をある程度まで封印し、普通の30代らしく悩みながら身体の苦痛と向き合って年齢を重ねるか
きっと小児期トラウマを抱えた多くの人は、20〜40代で大きな決断を迫られるのです。
どんな裏技を駆使したところで、加齢には抗えないから。身体が追いつかないから。
芥川龍之介は自死を選びました。夏目漱石は病を得ても創作に拘り、早世しました。
DVやモラハラに逃げる人は、きっと前者を選んだのでしょう。
そういう生き方が羨ましいと感じないと言えば嘘になります。
でも、私は、見苦しくても良いから生き残りたかった。
そしてもう耐えられないほど身体は限界に来ていた。
折しもコロナが流行り始め、私の身体は死の恐怖を察知していました。
すこしでも長く生きれば、きっと、今ある能力が使えなくなっても、何か良いことが待っていると信じたくて、
矢継ぎ早に「普通の人間」を目指して治療やセラピーを試しまくりました。
TMS磁気治療をきっかけに、私の頑強な解離は気づかない間に溶けていきました。
解離して出来上がっていた「想像と分析の鬼」人格が、ゆっくりとゆっくりと弱まって、消えていくのを感じたのです。
トトロや魔女の宅急便のように、慣れ親しんだ力が自分から奪われて、
ふつうへと、ゆっくり進んでいくことを感じました。
それは、私にとって「日常の喪失」でした。
コロナパニックと同レベルのパニック状態でした。
24時間365日稼働していた「想像と分析」の自制的人格は、
解離が薄れるとともに薄まっていっています。
パニック障害、双極性障害、愛着障害を克服していくに従って、
異常だった集中力は衰え、分析力やメタ認知、構成力は落ちていきます。
そうして治療を進めるうちに、
自分を支えてくれた唯一の存在ーー分析と想像で私を守ってくれた「解離」が、
このままでは本当に消えて、完全に眠りについて、忘れてしまう気がしました。
私の相棒が元気に生き生きと活躍できる場所を用意しておけば、「あの子」も一緒だ。
「リアルの私」と「解離のわたし」が共存するためにブログを始めたのです。
解離性障害の仲間に「解離性同一性障害」=多重人格障害=DIDというものがあります。
私も、ごくごく軽度ではありますが、解離性同一性障害と言えなくはないと思います。
みんな誰もが「キャラ」を持っている、そのレベルに近いです。
うっかり屋で、行動力だけが取り柄で、外交的で感激屋の「もともとの私」と、
きちんとして、真面目で、自己コントロールの鬼である「外の私」と、
それをまとめてくれる「分析、想像、共感、言語、論理」を助けてくれるプラグインみたいな解離のわたしと。
機能不全家族、というよりも家族が完全に崩壊した状態で生まれ落ちた私にとって、
「わたし」しか頼れる人はいなかったことはご理解いただけると思います。
父向け、母向け、友達向け、とペルソナとしての「わたし」は増え、
増え続ける「わたし」と比例して、統括する鬼教官の「私」も強くなりました。
解離を発症する年齢が早すぎたためか、いわゆる多重人格のようなことにはならず、
人格(キャラ)が変わっても違和感をもたれることもなく、
誰も私が病気だなんて、まして解離しているなんて、親ですら気付きませんでした。
私が生き残ってこられた理由はまだ分かりません。
でもたぶん、隔離された都会の機能不全家族で、逃げ道がまったくない状況で、
ひたすら自制心を強めていくことに特化したからこそ、
病気や事故やストレスで死にかけても何度も生き残ってこられたのだと思っています。
そういう理由で、このブログでは、文体がたまに異なる文章があります。
女子っぽいの、男っぽいの、学者みたいなの、作家気取りなもの、いろいろです。
普通のブログなら、ちゃんと統制しリライトすべきなのでしょう。
でも「生まれた時から解離」
かつ「解離という病識を自覚して生きている」
という、割と珍しいタイプのサバイバーの実態を伝えるには、
敢えてそれでいいのかなと思っています。
本当はみんなちょっとずつ解離しています。
ただ、自覚がないだけ。
それが幼い時から、その人にとって当たり前すぎるから。
解離をやめるか、つきあうかは、公序良俗に反しない範囲で、自由です。
ただ、解離を続けると身体がボロボロになることだけは付言しておきます。
この体験を誰かに強制するつもりは毛頭ないし、
まして自慢できることではありません。
そもそも0歳に戻って解離するなんて無理なことです。
でも、ヒトの裏技をたくさん使って生き延びてきて、
その裏技の副作用もたくさん知っている当事者だからこそ、
書き残すべき症例があると思っています。
そして、同世代が親になっていく姿を見て、
「サバイバーをこれ以上増やしたくない」という
祈りみたいな感情が抑えられなくなりました。
そしてこれまでの人生がPTSD(障害)だったとは思えないし、思いたくない。
だからホームページのタイトルを「リアルPTG」=ストレス後成長にしました。
愛着障害、死にかけた体験、機能不全家族、虐待、いじめ、身体症状、双極性障害など
いろんなことがあったかも知れないけれど、自分を「かわいそう」と思ったことは一度もないし、
生い立ちや病気を理由に人生を諦めたことは一度もありません。
いつも「この苦労を成長に変えてやるぞ!」と、闘争反応で乗り越えてきたつもりです。
そういう、もしかしたら特殊かも知れない、でも普通かもしれない人間が書いています。
解離やその原因たるトラウマに気づかず、
「治らない病」を恨みながら、
今日も明日も(おそらく数十年後も)病院の待合室へ通い続けるお仲間さんに、
適切な知識と、適切な治療法を届けることが本ホームページの使命と思っております。
改めて、今後ともご指導ご支援のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
管理人:はっち
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