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【病識への道・前半】複雑性PTSDという診断にたどり着くまでの30年間①

病名の変遷 ストレス対処
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私の診断は、十年ほど「双極性障害」「パニック障害」でした。

薬も飲んでいますが、効いている実感がないし、病名にピンと来ていませんでした。

だって、躁的防衛する以外、生き方を知らなかったから。

こうしてただ漫然と精神科に通い続けるうちに、

私の症状はどんどん悪くなっていきました。

真実にたどり着くまで10年、いや30年以上ーー。

一個ずつは別記事で詳細を書きますので、今日は流れだけご紹介します。

 

まずは、複雑性PTSDの日本の権威、杉山登志郎先生の複雑性PTSD治療に関する論文のリンクを貼ります。

以下では、この論文をベースに、私の「病名」の変遷を書かせていただきます。

「誤診」で苦しんでいる方は、難しくてもざっと読んでみてください!

特に投薬については主治医と相談する価値があるかもしれません。

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpm/59/3/59_219/_pdf

 

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作り込んだ大人人格で過ごした子供時代

親に攻撃されないために、「攻撃されにくい人格」を作り込みました。

優しく、明るく、友達が多く、賢く、テストの点がよく、運動ができ、絵が上手で、 人の話を聞け、共感力が高い子。

ツッコミどころの無い子供を目指して生きていました。

 

でも、どんなにスキルを高めたところで、

自宅では親に怯えてビクビクオドオドしているし、

そもそも愛着障害者で無秩序型なので、自分の安心感がゼロでした。

批判への弱さを見透かされ、いつもイジメのターゲットになっていました。

前回記事で書いたように空気も読めませんでした。

https://realptg.com/2020/03/29/fact-of-ky/

いじめから逃れるために磨きに磨いたテクニックはこちらで解説しています。

【前編】いじめと戦うために知っておくべき7つのこと
新学期に入って、いじめに悩んでいる方がいると思います。私自身もほぼ絶え間なくいじめられてきましたが、ほとんど自力で解決してきました。今日は実体験から、いじめについて考えてみます。子どもさんや学生さんにも読んでいただけるように、やさしい言葉にしました⭐︎
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きっかけは「生まれた時からいつも死にそうだった父」の死

3〜5歳くらいのとき、「いつも病気で死にそう」な父を見て

「私はお父さんのために完璧な良い子になろう。

でも、お父さんは長くないから、お父さんが死んだら自由にしよう」

と自分で自分に約束しました。

当時、父が成人まで生きるとは夢にも思いませんでした。

父が三年前に病死して、30過ぎてやっと自由になったのです。

父が死ぬまでは、上記の通り完璧主義で躁的な人間でした。

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小児期トラウマ 最初の兆候は17歳

大学受験の時、いま思うと「虚脱」状態でした。

心療内科に行ったのですが、解離が災いして、きっとヘラヘラペラペラ笑顔で応対したんだと思います。

「あんたフツーの女子高生にしか見えない。たいしたことないね。一応、鬱病とパニック障害かもね」

と、あまりにぞんざいに扱われ、思春期の私は精神科恐怖症になってしまいました。

小児期トラウマの人は、早くて10代後半から症状が現れるので、

あの頃小児期トラウマを医者が理解していれば、これほどの病に苦しむことは無かったのになとは思います。

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カウンセラーに説かれた「若き女子高生の悩み」

医者がダメならカウンセラーにも相談してみました。

優しそうな年配の女性でした。でも、

「青春の悩みって素敵ね! 私も戻りたい! 頑張ってね!」

と言われて呆然と愛想笑いを浮かべるしかありませんでした。

父親が失業して、両親が鬱病で、本人は虚脱して毎日高熱出しながら受験勉強してて、

これのどこが青春の輝きなのか……

そこでカウンセラー恐怖症にもなり、

助けてくれる外部の人というライフラインを使い果たしました。

鬱親はますます子どもへの精神的依存を強めてゆき、

ついに「人間不信の完全体」へと進化しました。

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「万人の万人に対する闘争」を生き抜く決意

もう誰も信じなくて良いし、

もう誰も頼らなくて良いや。

そう覚悟を決めると、大学や会社でのディープな人間関係から距離を取れるようになりました。

 

少数の親友と、大勢の浅く広い知り合いの中を漂う刺激的な毎日。

たぶん、身体は虚脱したまま、意識だけが過覚醒になって、

両極端に分断された心と身体でギリギリのシーソーゲームをしていた気がします。

 

日中はリア充して、休みの日は16時間とか寝ていました。

他人には鈍感な両親は、よく寝る子ね〜と呑気でしたが、

いま神経学的に振り返ると、完全に闘争逃走反応のなかにいて、

過覚醒と虚脱を行ったり来たりして、相当危険な状態でした。

5年間ほぼずっとそんな状態で固定されていました。

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ついに鬱転、でも理由が……?

だから、会社で閑職にいてイジメも無く同僚も上司も優しかったにも関わらず、

なぜか無茶苦茶情緒不安定で不安で警戒全開になり、

ついに不眠から「鬱」になり、ツレに無理矢理精神科に引っ張り込まれました。

 

いま思えば鬱ではなく、トラウマのフラッシュバックこそ主訴でした。

年上の女性たちの指図を一日中受けて自由意志なく働かされ、

じっと良い子に机に座り続けさせられることは、

両親のためにすべてを犠牲にしてきた小児期トラウマの「暴露療法」そのものだったのです。

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鬱病の薬はことごとく効かない

それどころか抗うつ薬のSSRIにより、恐ろしいスピードで躁転しました。

セロトニン症候群と呼ばれる、手の震えなどの異常症状も現れました。

おそろしいほどの買い物をしました(これは後々役に立っているので良かった)。

やむなく抗うつ薬は中止。別の抗てんかん薬と抗不安薬での治療になりました。

それからは

鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱、躁!、鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱、躁!、鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱

のお決まりのループでしたね。

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金縛り!? 認知症!? そしてADHD診断

そして、双極性障害特有の「低め安定」化作戦のせいで、

そもそも虚脱していて低覚醒の私はさらに低覚醒になり、ワーキングメモリは低下し、

ついに虚脱して立つことも歩くことも出来ない日が増えていきました。

その時は専門用語が分からないので「金縛り」と呼んでいました。

 

それでも這いつくばりながら出勤の支度をして、杖をつきながら会社に行き続けました。

解離性健忘を若年性認知症と勘違いしてテストを受けたところ、

軽度の「ADHD」と診断されました。発達障害の薬は飲みませんでした。

段々とフラッシュバックが激しくなり、

薬を飲んでも電車や飛行機に乗れなくなっていきました。

大好きだった海外旅行も、3年前のスリランカでのアーユルヴェーダ治療以来ご無沙汰です。

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話が通じる医師に出会えたことがブーストを授けた

転院を3回し、いまの主治医を信用?できてからは急展開で改善しました。

PTSDやトラウマを治せる、というか知識や症例のある先生は、日本にわずかです。

 

新しい主治医は直感的に、私ですら気づいていなかったPTSD症状を見抜いていました。

主訴は双極性障害2型とパニック障害のままでしたが、

まさに杉山先生の論文の通りの処方に少しずつ切り替わっていきました。

お薬を変えてから落ち着いたのは確かです。

お薬の詳細は公式サイトからご確認ください。素人解説はあまりに危険なので控えます。

https://pins.japic.or.jp/pdf/newPINS/00048293.pdf

 

本格的に整体にも通いはじめて、

親に禁じられて封じていた「アート」「職人」「物書き」への憧れを解放して

経済的生産性は低くても目の前の仕事ーーザッヘに打ち込むうちに、

フラッシュバックは減っていき、虚脱から少しずつ少しずつ立ち直りました。

ウェーバーに学ぶ「自制心の鍛え方」
『職業としての学問』にある「ザッヘに帰れ」こそ、病を治すことを助け、歪んだ性格をまっすぐにしてくれる最強の薬でした。実体験

 

続きは次の記事で★

 

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