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【病識への道・後半】複雑性PTSDという診断にたどり着くまでの30年間②

病識への道のり2 「治らない病」克服日記
複雑性PTSDにたどり着くまで
この記事は約10分で読めます。
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私の診断は、十年ほど「双極性障害」「パニック障害」でした。

前回記事では、解離と虚脱と過覚醒と低覚醒を行き来しながら何とか生き延び、

「医者を信頼する」というところまで病識が進んだことを書きました。

ここから一気に病識は明確になり、「自分なりの健康」にたどり着きました。

 

病識を得るまで、約30年。

病識を得て行動をはじめ、約6ヶ月。

病識(異常性の正しい自己認識)の大切さが伝わることを祈ります。

 

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「複雑性PTSD治療論文」大事なので再掲します!

まずは、複雑性PTSDの日本の権威、杉山先生の複雑性PTSD治療に関する論文のリンクを貼ります。

以下では、この論文をベースに、私の「病名」の変遷を書かせていただきます。

「誤診」で苦しんでいる方は、難しくてもざっと読んでみてください!

特に投薬については主治医と相談する価値があるかもしれません。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpm/59/3/59_219/_pdf

 

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まずは「毒親」という言葉から

さあ自由だ、と思っても、昨日まで全力良い子をしていた人間が、

急に子供時代の自由な人格に戻るのは無理です。

小児期トラウマの人って、そもそも悪い記憶がないし(^^;

 

ですので、最初は、月並みですが流行の「毒親」セミナーを受けました。

でも受講生仲間と話しているうちに、私の家族は「毒親」のレベルを超えていると感じるようになりました。

セミナーに来ている方々の「毒親」って、

もう少し子供を一つの人格として扱ってくれるようだったし、

「俺が死んで良いのか!」なんて恫喝で子供の意思決定を縛ったりしないよな、と。

 

カウンセラーの先生と話していても、なんだか話が噛み合わない。

そこでなぜか、当時流行っていた「発達障害」ではないかと直感で思い、

実際にテストをして発達障害(ASD、自閉スペクトラム症)の診断が下りました。

 

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父の余命宣告、そして解離が溶けはじめた

そして、ボロボロの身体とボロボロの心をつなぎ止めていた、

細くて強い緊張の糸ーー「お父さんを生かすために頑張る!」は、

あっけなくプツリと切れました。

 

全身転移ガンからの、余命半年宣告、そして激しすぎる闘病を経て逝きました。

死にゆく父を眺めていることは、フラッシュバックという「暴露療法」そのもので、

ついに私の身体は完全に機能を停止しました。

 

それまでは気合と根性で立ち上がれていたのに、

もう「心」「気合」がいくら頑張っても、虚脱して身体が少しも動かなかった。

父の死を悟ったとき、直感的に「父が死んだら私もやばい」と感じました。

 

そこからは医師と会社に迷惑をかけないよう最大限できることをした上で、

大好きで私の誇りであった仕事を離れ、休職し「生き延びる」決意をしました。

休職までして、医学や薬学を学んでも、父の身体を健康にすることは叶いませんでした。

でも、父の死というパンドラの箱の底に眠っていた自我は

「やっとこれで自分の人生が送れる」という「希望」だったのです。

 

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長かった否認と解離

何か大事なことを思い出しそうでしたが、思い出したら辛い目に遭うのは確実でした。

なので、父の死後は、物心ついたときからいつもしていた「虚脱」に自動的に移行しました。

④「治らない病」と「凍り付き」の因果関係

 

5分前の記憶もない、生きる気力もない、何も考えられない。

ただ横たわって、気づいたら朝日がのぼり、気づいたら夜になっている。

現象だけ切り取ると、ザ・廃人です。

 

なにから始めたら元気になるのか、その時は皆目検討も付きませんでした。

父を生かすことだけが、ボロボロのドブネズミが生きる「すべて」だったのです。

 

「回復」には、文字通り「また帰れる健康で安心安全な場所」が必要です。

でも、そもそも愛着障害をこじらせ、その上にハリボテの城を築き上げ、

自己愛性人格障害的な防衛スタイルを取っていた当時の私には、

誰かに頼って安心安全を得るという発想がそもそもなかったのです。

愛着障害者(無秩序D型)の子どもと親ってどんな人?

ただ、ひたすら、勉強して勉強して勉強して、勉強三昧でした。

身体は動きませんから、オーディブルや読み上げ機能で読書三昧でした。

歴史学、哲学、経済学、宗教学、伝統医療、心理学、脳神経科学、薬学、内分泌学。

私が持っていたたった一つの武器が、「好奇心」だったのが唯一の救いでした。

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TMSで目が覚めた!

薬での治療に何の実績もなかったことから、脳の機能異常を疑うようになり、

思い切ってクリニックでTMS磁気治療を受けました。

 

服薬はなるべく減らし、TMSのために体調には万全を期しました。

トータル30回で、一回20分、強度は通常です。

左のおでこには、記憶から消えていた「頭蓋骨骨折(したまま)」の傷があり、

たまたま、そのすぐ上に機械を当てていただけました。

 

するとみるみる頭脳が復活(というか解離から戻ってきた)しました。

頭にモヤモヤがかかっているわけでもなく、

かといって臨戦体制のネコみたいな過覚醒でもない、

中道なんだけど頭が冴えている不思議な感覚でした(これが普通なのか?)。

主治医も劇的な改善にびっくりしていたほどです。

 

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脳内を忙しなく整理

何年も解離に頼りきりで生きてきたため、脳味噌が使えるようになってからは

あらゆる情報に手当たり次第アクセスしました。

意思ではなくて、もう身体が動いて止まらない感じでした。

脳科学、精神医学、心理学、歴史学、社会学、哲学など、

これまで勉強してきた学問を総ざらいしました。最後の神集中だったのかもしれません。

わずか一月足らずで自分の中の知識がすべて線で繋がった感じがしました。

身体中に散らばっていた記憶、感覚が一つになっていく不思議な感覚でした。

 

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家族問題と脳の発達の問題に、自然と帰ってきた

最初は社会問題全般についてあれやこれやと考えていたのが、

いつの間にか資本主義を支える現代の家族問題へ、

そして乳幼児の発達の問題へ、

発達障害の問題へ、

そして人格障害、とくにモラハラや自己愛性パーソナリティー障害へ、

サイコパスへ、

トラウマやPTSDという隠された病理へ……

 

解離している人特有の「目まぐるしい思考」と「異常なリサーチ力」は森羅万象に及びました。

いまにして思えば、ズタボロの敗残兵となった解離人格が休憩に入る前に、

卒業論文を作っていたのだと思います。

 

あれほど思考がクリアだったことは、「躁状態」以外では初めてでした。

ついに一連の思考が社会全体の問題ではなくて、

自分と、自分の親の問題だったことに気づいたのです。

社会システムに感じていた怒りは、幼い私が封じ込めた怒りの合理化だったのだと。

怒りを嘘で塗り固めた「良い子人格」で覆い隠し、社会に過剰適応してやってきたのだと。

 

4年前にもサイコパスや虐待について考えていたけれど、

まだ父が健在だったため、アンテナが向いておらず、チャンスを無にしていました。

それほど、人間はネガティブな記憶を完全に記憶から消すことが出来ます。

だから愛着障害や小児期トラウマは、病識を持たないんですね。

病識(自覚)のない虐待はどうする?

 

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ようやく諦めがついて、トラウマと向き合う

まず、母親と距離を置こうと思えるようになりました。

問題は「優しくてドジな専業主婦の母」だと直感で思ったので、それに従ったのです。

 

そして臨床心理士の先生に家族歴のエピソードを話すうちに、

先生が隠していてもビックリして、言葉に詰まっているのが伝わってきました。

「親子逆転も心理的虐待もネグレクトも監禁も、現代社会では普通だろ!」

……と思わずには、一人きりで不条理に耐えられなかったんですが、

30超えて子供も産めない障害者女でも、もうこの際いいや。

と開き直れたことは大きかったです。

 

「あ、私が受けてきた経験は、それなりにヤバいレベルだったんだ」

「ここまでヤバいレベルでなくても、トラウマにはなるんだ」

「認知行動療法とか、認知や自制心でどうにかなるレベルじゃないんだ」

と客観的に見られるようになったのは、カウンセラーさんと話して良かった点です。

 

ここまで来てやっと本当の病識にたどり着いたのです。

いまは良き師を得て、トラウマと安心して向き合えています。

良くなったり、少し悪かったり、それを繰り返しながらどんどん良くなっています。

 

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「自分らしさ」を解凍中

私は「生身の私」を凍らせ、親と社会に過剰適応して生きていました。

シーンや人によってペルソナを器用につかいわける裏技も習得しました。

それでそれなりの地位と学を手に入れました。

 

でもそれって虚しいんです。

自分を偽り、相手を偽り、過去も偽り、未来も偽り、なにもかも現実だけど、幻影。

長くは続けられるものではありません。

 

少しでも今の病気と治療で「進展がないなあ」と思ったら、

まずは嫌なことと向き合えるだけの「自分の余裕」を作るのがオススメです。

「自分の余裕」があれば、辛いトラウマと向き合っても壊れたりしません!

むしろ生活の質は何十倍も良くなります^^

そもそもアメリカでは、トラウマケアは当たり前の治療ですしね!

サバイバーさんの理想的な日常ルーティーン

 

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小児期トラウマ・複雑性PTSDと、自己愛・モラハラ・DV

ちょっと補足。

私は身体が弱すぎたため、全日本自己愛性人格障害者協会から破門された人間です。

何がなんでも自己正当化し、何かなんでも被害者イメージに逃げ、

いついかなる状況でも他人下げロジックを生み出せるほどの

「勝てる自信(=身体の強さ)」も脳のキャパもありませんでした。

正直、モラハラやDVできる人って、身体が強くて自信満々で羨ましいです。

母親の自己正当化能力の高さには尊敬はしても、真似はできませんでした。

こういう不器用なタイプはトラウマと向き合うべきだ、と実体験で思います。

 

逆に、解離というヒト最強の裏技を駆使して、共感や身体性を自在に切り離し、

「何が何でも自分だけが快楽を得よう!」「相手? どうでもええやん」

と決意した健康な人に病識を持たせるのがいかに難しいか、

ご理解いただけたでしょうか。

 

私の親も含め、友人にも自己愛モラハラ系の人がたくさんいますが、

彼らは自分が間違っているとは一ミリも思っていません。むしろ、

「私/俺を理解できないお前ら、まじ何なん? バカ? 出直せ!」と思っています。

なんなら科学が、医者が、会社が、日本が、地球が、エコシステムが悪いと思っています。

 

彼らを治せるとしたら、

彼らが本当に不治の身体病ーーガンとか成人病とかーーになった時でしょう。

コロナショックもまた、一つのチャンスではあると思います。

お偉いオジさんが、ガン闘病を期に人格が変わると言うのはあるある話です。

 

自己愛と解離というのは本当に優れたヒトの最終防衛システムです。

最強のファイヤーウォールであり、ATフィールドです。

どんな弾も通さない防弾チョッキです。

健康である限り、自己愛=解離に逃げられる限り、他人下げ自分上げは続きます。

 

逆に言うと、解離と自己愛を礼讃する社会ではなくなれば、

結構あっという間にモラハラやDVはなくなるんじゃないかと思います。

小児期トラウマの人が、「感謝感謝感謝!」にいくか「モラハラDV」にいくか

割と極端な行動をしがちなのは、本人のせいというより、生育環境が大きいと思います。

それについてはまたいずれ。

 

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本ブログの参考文献

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