前回は「鼻詰まりを治す」ことでコロナ感染から自衛したことを書きました。続きます。

「慢性上咽頭炎」が軽減しただけで脳の酸素濃度も上がり、思考はクリアになった。
そして、その効果は真っ先に、刻み付けられた「トラウマという記憶」から解放される
安心安全な「その日」が訪れたことを意味していた。
子どもの人格を取り戻した
副鼻腔(サイナス)が開通、そしてーー
最初に「開通」したのは副鼻腔と呼ばれる、鼻の穴の上にある空洞だった。
そこにも炎症のせいで鼻水がつまってしまっていたのだ。
せっせと鼻うがいして、後鼻漏を「ペッ」と排出しているうちに、
鼻にたくさん空気が入るようになる変化があった。
セラピーの最中、自分の中で不思議な欲求が湧き上がってきた。
自然と行われた「人格統合」
「先生、なんか、子ども(?)がお話ししたいって言うんですが」
「子どもの人格がいるんですか? どうぞ、代わってあげてください」
私にとって、これが最初の「意図的な人格交代」だった。
それまで、多重人格なんて、全然他人事で、「大変だなぁ」くらいにしか思っていなかったのに。
まさか、私が。
でももうそんなことはどうだっていい。「子ども」は出てきたいと叫んでいる。
ーーおいで! 出てきて良いって!
自分の内側の方へ、とくに鼻の空洞に向かって語りかけた。
そして、先生の前で、私のなかにいた「ご機嫌な子ども」が現れた。
アダルトチルドレン ピエロの人格
「あー、あ。うー。へへっ」
子どもはニコニコしているが、明確な言葉は話さない。
そこらへんに落ちているものを触ってみたり、ケラケラ笑ったりするばかり。
「これが本来のあなたですか?」と先生が聞く。
ーー違う。この子は「防衛」のために作られた「解離した人格」だ。
ーー悲しい道化師。親に衣食住を提供してもらうために作ったんだ。
ーーいわば「親の喜び組」。ピエロの人格だ。
ーーいつもそうだ。素直でご機嫌なフリをして、みんなのピエロでいれば殺されないから。
右腕に棲んでいたのね
「ご機嫌な子ども」は、ひとしきり「うー、あー」と騒ぐと、
スーッと右腕に吸い込まれていくような、
もともと右腕に棲みついていたような、
ともかく右腕に帰っていって大人しくなった。
話しかけると右手を開いたり握ったりして応答し返してくる。
まるでアニメを見ているような、自分のことで自分でないような、不思議な感覚だった。
実態を失った形だけの「子ども」
その時、ふとイメージがよぎった。保育園で絵を描いて、歌を歌っている私。
感情と直感と情緒だけで生きている、ちょっとセンチメンタルな女の子。
その子は、すべての楽しみを「うるさい」「片付けろ」と奪い取られ、
あげくには「芸術家と芸能人と起業家はぜったいなるな。サラリーマンしか許さん」と
親は物心つく前から口酸っぱく言っていた。
いつしか絵はパソコンでこっそり書くだけになり、
歌は親の好きな歌しか歌わなくなった。
「ご機嫌な子ども」は、その実態がスコンと抜け、子供らしさなんてカケラもなくて、
もう感覚も自分の主張も感じなくなり、
ご飯をもらうため、親を喜ばせるための「機能」としてだけ残っていた。
父と祖母が「右の鼻に居た」
私は私の中に、大切な人も私の中に
子どもが引っ込んだ後には、すぐに第二波がやってきた。
右の鼻だった。
中学入学を期に一度東京を離れてから治ったきりだと思っていた鼻炎は、
実は「慢性上咽頭炎」としてずっと私の両鼻に居座っていた。
それが開通したとき、私は自分が自分だと信じられないくらい泣いていた。
右の鼻には「私を守ってくれた父親」と
「唯一甘やかしてくれた、でもたまにしか会えない母方の祖母」が居た。
二人とも故人である。
居た、としか表現のしようがない。
炎症体質になり、鼻を詰まらせながら、私を守っていた、阿形と吽形ーー。
サラサラした鼻水を垂らしながら、止まらない涙と共に、ただただ
ーーお父さん、おばあちゃん、愛してた、守ってくれてありがとう。
その言葉だけが延々とループして、数十分も経った頃、涙は止まり、
ーーもう、私は独り立ちの時が来たんだ。
と強く感じた。
ソマティックエクスペリエンス的な身体感覚で言えば、
身体の中がギュッと詰まった、よく太ったカニのような充実した気持ちになった。
左を守っていたのは「自分のカケラ」だった
今度こそ、あなたと一緒だよ
ひと思いに、左の鼻も何度も何度も鼻うがいを繰り返した。
自分でもなぜかは分からないが、「身体の自分」と今度こそ意思疎通ができる気がした。
「これまで健康でいてくれてありがとうね。私がいっぱい無理しても頑張ってくれてありがとうね。これからもずっと一緒だからね。私が迷ったとき、いつも的確なアドバイスをくれてありがとう。これからも、二人で仲良くやっていこうね」
奇妙なことしているのは百も承知だった。
でも、その言葉は自然と口から溢れ続けたけれど、
そのヴォリュームは、次第に小さくなっていった。
あの子が託した想い、わたしが受けとったバトン
そして左鼻も開通したときーー切り裂かれるように胸が痛んだ。
ーー行かないで! 死なないで! 置いていかないで!
気がつくと、洗面台で身体を抑えて嗚咽を漏らしていた。
ーー消えちゃうの? やだよ! 一人にしないで!
ーー「大丈夫、私たち、これからもずっと一緒だよ」
ーー「私ね、もう疲れ切ってしまって。もうお休みしたいんだ」
ーーわたしじゃ上手く世間を渡っていけないよ! これからも助けてくれる?
ーー「必要な時は、ちゃんと頑張、る、から……」
ーー行かないで! 一人はいや! ねえ! 答えて! 助けて!
ーー「…………」
ーー待って、ひとりにしないで!
ーー「………………………」
私の中で、主役は交代した。
3月まですべての苦しみを背負っても根性とモラルと合理性に生きた
世渡り上手な「あの子」は、眠りについてしまったと感じた。
傷つき、血まみれで、傷口から出血した手追いのまま、
会社員として、優等生として生き続けようとしてくれた。
自己愛しか逃げ場が無くなったときも、理性を失わなかった彼女がーー。
やっと、「信頼」「愛」という言葉の意味が実感として理解できた気がした。
「たくさんのわたし」に支えられてきた
私が3歳の時点ですでに親を頼らなくても生きられたのは、
私の中に「たくさんの強いわたし」たちがいて、
自分の中で役割分担して支え合い、励まし合ってきたからなのだと、
ようやく気がついた。
私が大好きな「あの子」は、いま左腕でスヤスヤと眠っている。
たまに、きちんとしていなければならない場面でだけ、「あの子」は突然表に出てくる。
でも、お互いに会話ができたのは、4月のあの1回だけ。
実を言うと、このブログで「ですます調」で書いているのは、その「あの子」であり、
「である調」でちょっと気取った文章を書くのが、本体の方の「わたし」だ。
あの子は外交担当なので、きちんと丁寧に書くのは得意ですが、
身体のことはよく分からないので、書いていると自然と文体が変わってしまうのです。
この身体の人格は逆に適切にですますを使い、軽妙に文章を書くのが苦手。
でもお互いに記憶を共有しているし、多重人格と呼べるほどではない。
すべての「障害」「病気」がグレーゾーンで、
ピシッとパシッと薬と治療法が確立した問題ではない。
答えの分からない問いーー治らない病だとしても、それでも私は一人じゃなかった。
一人だけど、たくさんの私、あの世とこの世を隔てても守ってくれた人がいた。
だから生きる。答えなんてなくても、意味なんてなくても。
うつ、虚脱、希死念慮、あらゆる不条理を超えて、あの子たちが繋いでくれたバトン、
ここで落とすわけにはいかない意地がある。
私にはPTGでい続ける理由がある。
そしてそれはきっと、自分の身体の声を聞くことのできる全ての人にとって、
同じ。
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