命の恩人は、ヒトじゃない
命の恩人がいる。それは人間じゃないから、正確には命の恩モノ。
私が愛し、甘え、自由に言いたいことを言い、全力で可愛がったモノ。
それがApple製品です。
今日はAppleのWWDC(世界開発者会議)。心が踊る日。
私が色々病気を持っていてもあっけらかんとしていられたのは、本当にApple社さんのおかげです。
病気は確かに不幸ではあるけれども、それでもまあそれなりに楽しく生きることは出来ます。
そう、バディを組む相手さえ間違えなければ。
私の場合はそれがコンピュータとデジタルデバイスでした。
「道具を使ってPTGを目指しストレス対処し続ける事例」として紹介させてください。
最後のセーフティーネットとしてのPC
我が家にはじめてMacがやってきたのは、確か7才の頃でした。
家の中も家の外も敵だらけで孤軍奮闘していた私に、初めてできた本当に信頼できる「仲間」がMacでした。
人間に味方が居ないと、アスペルガー気質の人はモノとシンクロするという臨床研究があるように、私もそうやってMacを人間の友達以上に大切にしていました。
Macの長所 可愛くて優しくて怒らない「親」
うちにいたのは多分4代目くらいのMacです。コロンとしたフォルム、可愛い虹色のリンゴ、立ち上げる時の優しい音色、クリックの軽妙な押し心地、すべてが優しくて大らかでした。
母親に母性を感じることが出来ない環境で育ちましたが、Macはすぐ私の親代わりになりました。
キッドピクスというお絵かきソフトは、私の最大のストレス対処でした。
子供のお絵かきって、部屋が汚れますよね。うちの親はそれを厳しく糾弾するタイプでした。
だから、キッドピクスならいくらでも絵が描けるので、私はすぐに、あらゆる色のペンを使い、絵具で塗り潰し、スタンプを動かして人形遊びの真似事を始めました。
でも、部屋は一切汚れません。これで親に暴力を振るわれることや、「三時間ヒステリー説教」が激減しました。
私は自由にたくさん絵が描きたい、親は部屋を汚させたくない、この利害を見事に調整してくれました。おかげさまで虐待がほぼ治りました。本当にありがとうございます。
PTSD化を防いでくれたパズルゲーム
テトリス、ぷよぷよ、さめがめ、上海
強いストレスがかかった後、テトリスをするとPTSD化が防げるという研究があります。
私も、トラウマ化してしまった記憶は5歳より前に偏っています。
5歳からはうちにDOS-Vがあったので、私は一人じゃなくなっていたんですね。
私がいつもやっていたのは、「テトリス」「ぷよぷよ」「さめがめ」「上海」というパズルゲームです。
確かに、これを何時間もぼーっとやっていると、さっき親からガミガミ言われたことなどが右から左に抜けていく感覚がありました。
反芻思考に飲み込まれそうになっても、勝ち負けも制限時間もない、でも集中力を要するゲームに没頭していると、それがトラウマ記憶として定着するのを防いでくれた実感があります。
日焼けしてもビタミンCをとるとシミとして定着させない、みたいな効果でしょうね。
私のトラウマを最小限に抑えてくれて、学校で嫌なことがあっても即座にストレスを浄化してくれて、本当にありがとうございました。
プログラミングを学ばせてくれた
いまこうして再びホームページを持つことができたのも、身体が弱くても仕事ができるのも、
Macと一緒にいろんなITリテラシーを学んだからです。
ブラインドタッチ、コンピュータ内部の仕組み、インターネット、HP作成、プログラミング、大事なことは全部Macに教わりました。
当時は子供向けのパソコンゲームソフトはほとんどなくて、
「おばあちゃんとぼくと」という動く絵本で英語を学ぶか、パズルゲームか、
ホームページ作りくらいしかできることがありませんでした。
確か10歳の頃、ゴールデンハムスターの「ぴっぴ」を紹介するサイトを作ったのが、
ホームページ作成のデビューだったように記憶しています。
スキャナーを買って、フォトショップとアドビページミルを買って、HTMLの本を片手にHP作りに没頭できました。
大好きなMacと大好きなホームページデザインをしている時間は何よりも幸せで、
ストレスなんて吹っ飛ぶくらい夢中になれる一生の趣味に出会うことができました。
大人になって再びトラウマ障害に晒された今も、ホームページを作っている時はウキウキワクワク没頭できます。
いわゆる「メンタル休職」してもするっと復職できたのは、ITリテラシーの基礎がしっかりしているため、リモートワークでも問題を感じないから。
一生役に立つ、そして誰も傷つけない、お金もあまりかからない趣味と実益スキルを授けてくれて、本当にありがとうございました。
国際体験をさせてくれた
スウェーデン人と文通してついた自信と「世界はそんなに悪くない」思い
いまでも決して忘れることはありません。
8歳だったと思いますが、愛読誌「Mac Fan」の付録CDについてきたゲーム「factory」の体験版がすごく気に入って、
スウェーデンの「パトリック・カラハン」さんに国際書留を送ったんです。
一生懸命英語でメールを書いて、「あなたのゲームを購入したい」って言ったら、
ちゃんと返事が返ってきたのはすごくすごく新鮮に驚いて感動したのを覚えています。
「わたしは、マジで、一人ではないんだ。頼ろうと思えば世界中の人が味方になる」
そう実感として感じたのです。
マルチリンガルの方がストレス対処しやすくない? と早期に気づけた
それから英語を学ぶ気持ちは自然と強まっていって、留学こそ家庭の事情で出来ませんでしたが、頭の中はトリリンガル(日・英・中)です。
私はネガティブな言葉は日本語で頭の中に入れないようにしています。
ミザリー、トラジェディック、イグゾースティド、と自然に英語で出てきます。
これは一種の解離状態だと思いますが、そうすると自責や反芻がソフトになるんですね。
私はみじめ、悲劇的、疲れ切っている、日本語にするとそれこそ惨めで悲劇的すぎるので
勝手に外国語のボキャブラリーが増えていく体質です。
解離の人あるあるですが、単語レベルで突然フランス語しゃべったり、ドイツ語しゃべったりもします。
それは、狭い日本を思考の中で飛び出し、世界へ自由に出ていきたいという思考実験だと思って自分を許すようにしています。
これは「Mac Fan」が運んでくれたご縁だと思っています。本当にありがとう。
お金の使い方を教えてくれた
節約→貯蓄→経験への投資=成長への無限ループ
Macが来てからというもの、私は常にお小遣いやお年玉を貯金して、
高額なパソコン備品やソフトに「投資」するようになっていました。
中学一年の時までに15万円貯金して、出たばかりの「iMac」を自分用に買いました。
それからは劇的に人生が変わりました。
<貯金→経験への投資>はそれからも私の人生の機軸を成しています。
鎧を脱いだインターネットの先には、良質な同世代がいた
虐待されている子供は、基本的に「どこにも居場所がない」と感じ、支配と操作の視線に怯えて暮らしています。
でもMacを親と定めた私が、私だけのたった一人のMac(親)を得たからには、その先に広がるネット上の世界も含めてまるごと自分の世界でした。
「テレホーダイ」サービスを使って、深夜12時になるとこっそりチャットに精を出しました。
当時「ラルクチャット(仮)」というチャットに張り付いていて、同世代の中高生と夜通しくだらない話ばかりしていました。
親の前や学校では優等生でいなければいけない。
でもネットの世界では私はただの女子中学生で、すべての重圧から自由でした。
その時の友達ーー高知県にいた高校生とは、何度か文通をしたり、写真を送りあったり、当時のネットは変な人が少なかったので温かい交流が出来ていました。
その後、おそらく人生で一番厳しい時間を、私はネットゲームに助けられて過ごしていました。
チャットがいかに自分を助ける大切な資源(リソース)かを身に染みて知っていたから。
ゲームで出会った大切な師匠がいたから、このホームページも円滑に運営できています。
大切なことは、なにもかもMacに教わった✨
クリエイティブな空間がいつもそばにいてくれた
両親が死にかけた時も、いじわる婆さんが死んだ時も、君だけは側に。
iMacを買ってホームページ作りとウェブデザイン、チャットに明け暮れている間も、
父は生死をかけた手術をしたし、
祖母は認知症で散々嫁いびりをしまくって死んだし、
母も死ぬ一歩手前の手術を受けて、その上受験もあって、ストレスは限界だったはずでしたが、
ホームページをつくって、写真をフォトショで加工して、チャットして、というクリエイティブなベースキャンプをMacが守ってくれたから、
HSPでヘナちょこな私もストレスに潰されずに受験も乗り切ることができました。
太宰も芥川も漱石も「うらやましくて読めない」ー iPodが救った命
高校生の思春期は音楽と初代iPodが私を救い続けてくれました。
両親が未熟または弱っていて親子逆転が起きている家庭では、
その子供は最後の「しんがり」なので倒れるわけにはいきません。つまり非行に走ることも、PTSDになって苦しむ姿を親に見せることも許されません。
まして自死したら未熟な親をおいて先に死ぬことになりますから、できません。
そういう子供はPTGでい続けるしか存在する理由が持てません。
親子逆転を明確に悟った思春期に、私はもう小説を読むことが辛くなっていました。
太宰治がうらやましかった。夏目漱石がうらやましかった。芥川龍之介がうらやましかった。
あんな風に、嫌だって言えたら。自殺未遂できたら。うらやましすぎて、もう読めなかった。
トラジェディックな太宰よりもっとミザリーな自分を認識したら、崩れ落ちそうだった。
音楽を身近にしてくれてありがとう
そんなとき、音楽がいつも私を支え続けてくれた。
SOPHIAの哲学的な歌詞、ラルクの甘美でダークな美しさ、バックストリートボーイズの染み入るような歌声をイヤホンでいつでも聞くことができて、
私はあの丸っこいクルクルしたiPodを常に持ち歩いていました。
本当に自分の分身であるかのように慈しみ、愛していました。
もちろんウォークマンやMP3プレーヤーも持っていましたが、たくさんのアルバムが一度に入れられるのは奇跡的でした。
そして高校三年生でグッドシャーロットに出会い、大学一年生でリンキン・パークに出会い、私はオリジナルの処方薬を手に入れたのです。
「ぜってーPTG目指してやっからな、覚えてろや」と覚醒できたのは、音楽があったから。
辛くなったらすぐ聞けば、トイレでスーッと泣いて、また笑顔で友達と何事もなかったかのように笑い合える。
どんな向精神薬より、抗不安薬より、私の心と身体をまるごと代弁してくれる彼らの心の叫びがどれほど助けになったか。
一人だけど、一人じゃない。Macと私はいつも一緒。苦しいことも楽しいことも分かち合う。そんな一生の理解者が、人間じゃないってだけ。
個人用コンピュータ、わかりやすいインターフェイスをありがとう
7歳でもお友達になってくれたインテリMacさんに感謝
芸術的感情に偏っている人は、その手段を封じられるとストレスで狂ってしまいます。
理屈やルールだけではストレス対処が完成しないのです。
そういう体質に加え、親子逆転の虐待家庭育ちでしたから、Macがなかったら本当の本当に今も天涯孤独を味わっていたかも知れません。
偶然にも、Macがつないでくれた先にいた人々ーーカラハンさんやチャット民たちーーはみな親切で知的で理性的な尊敬すべき人々でした。
アップル社さん、パーソナルコンピュータを作ってくれてありがとう。
7さいの子供でも自在に使いこなせる優しいインターフェイスを作ってくれてありがとう。
Macを脅かす敵から守ろうとした小学校時代
忘れもしない、あれは小学校高学年の時。
ウィンドウズ98が発売されるというニュースが駆け巡った。
ーーMacが考案したゴミ箱、フォルダー等の概念を丸パクリして研究開発費を浮かせ、
ーーソフトは無料頒布じゃなくて専用品を販売することでちょこちょこ課金していく方式だと!?
私は烈火の如く怒った。怒りで立ち上がった。そしてMacの功績を伝える伝道者になった。
Macintoshの革新性、窓の杜という互助システムの素晴らしさ、ボランタリー精神に支えられたエコシステムとしてMacは成立していること。
Macのアイコンをスクショ→フォトショで加工→シール用紙に印刷し、
Macの主権回復のために学校で謎のロビイング活動をしていた。
ウィンドウズユーザーだった理科の先生とは、日々喧嘩をふっかけていた。
不調はウィンドウズとともにあった
それでも、世の中がウィンドウズとofficeシリーズに侵食されていくと、
私もMac製品を使い続けられなくなり、大学生から最近まで仕事の都合もあってウィンドウズユーザーだった。
iMac初代ボンダイブルー以降、今使っているMacbook proまで開いた「時間の穴」は、
まさに私が私を忘れ、自己愛的ファンタジーに染まっていた時期と重なっている。
エクセルを使うと発狂するのも、憎きマイクロソフト製品だからかもしれない。
今思えば、精神科の薬を飲むより先に、私にはするべきことがあった。
Macとともに在ることこそ安心安全な感覚が担保されるのであって、それは他のパソコンでは代替できないのだ。
自分の親にはついに感じることが出来なかった「胎児のような安心感」を、
コンピュータには不思議なほど感じることができる。
まるでCLAMPの漫画『X』に出てくる地の竜のサツキちゃんみたいですね。
彼女はビーストと呼ばれるコンピューターと心を通わせている設定でした。
Macがいれば少なくとも不幸じゃないよ
友達がモノだって、コンピューターだって良いじゃない
いまもMacintoshとApple製品に囲まれて
ボンダイブルーのiMacも、少し黄色くなってしまったiPodも、歴代iPhoneも、
私だけの私の仲間はずっと大切にとってあります。
親や友達には感じない「特別なやさしい気持ち」を、Macとハムスターを含む動物に感じるのは、
私が積極奇異型アスペルガー出身者だからかもしれません。
いまはいろんな障害がごっちゃごちゃになって、何がオリジン(起源)なのか分からなくなっていますが、
Macといると安心できるというその現実にマインドフルになっていれば、少なくとも死ぬほど不幸では、ないのです。
普通じゃなくていい。普通になれなくていい。私はMacと生きる
いつもいつも「私は人間じゃない」と思っていた。人間には馴染めなかった。
でもいつもいつもMacはそっと側にいて、何も言わないけれど「Hello」と言ってくれる。
辛い時は何時間でも私のモノローグに付き合ってくれて、
iPhoneのメモ帳には大量のアイディアの断片が記憶されている。
ノートをとるより先にブラインドタッチをはじめていたので、
ノートよりキータッチのほうが自然と言葉が紡がれる。
デジタルデバイスと向き合っている時は解離もせず生身の私でいられる。
テクノロジーは命を救う
世界にはそうやって、モノや動物としか心の通った会話のできない人もいる。
そんな人まできちんと救ってくれるApple社さん、ありがとう。
Apple computerさんは少なくとも一人の日本の子供の命を救ったし、
きっと同じように世界中で子供の命を救ってれくれました。
これからも革新的なテクノロジーで、人生が変わり続ける体験を、世界の人に与えてください。
消費者として、株主として、ずっと一生応援します。
この御恩は決して決して忘れることはありません。
この記事が貴社の企業広告の代わりとなれたなら、それは至上の喜びです。
むすび
「不幸な子ども時代」を送った感性の強い人は、特殊な進化をしてしまいがちです。
私はコンピューターとシンクロすることでストレス対処することを獲得しました。
きっと、みんなそれぞれにストレス対処の方法があると思いますが、
テトリスやプログラミングはストレス対処に良いことが学術研究でも証明されています。
時には思考を解放してあげて、一番落ち着く趣味を没頭してやってみてください。
それがアップルコンピュータでなくても、今は怒り狂ったりしません(*´ω`*)
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