今日はなぜ人はペットに癒されるのか? について。
ペットがいる人は幸せ感が高くなったり、健康に気を使うようになったり、
実は我が子よりペットを愛しているなんて親もいるくらい。
なぜヒトは動物を飼うと幸せになれるのでしょうか?
そもそも動物と人は一心同体、というより人も動物である
この100年が異常。動植物ゼロ時代というサピエンス全史で未体験ゾーン
まず、ヒトが一人で生活ができるのは、
・分業化=近代経済
・都市化=近代化
という二代近代名産品のおかげであるわけです。
つまり100年前までは、便所にはカマドウマがいて、炊事場にはハエがいて、
田んぼには虫やら鳥やらが共存していて、というのが普通でした。
ヒト同士協働、動植物とも協働しなければ食っていけない
ちょっと1000年前の平安時代にタイムスリップしてみてください。
機械も長距離交易もないから自分の食べるものは自分で作りますね。
でも自分の食べ物を自分「だけ」で作ったら超効率が悪いので、
家族や親戚やムラ単位で食べ物を作る、山から採る、川から獲る、としますね。
虫や動物をいちいち現代人なみに「キャーキャー」していたら?
今日は山菜採り当番だったとします。
山には有象無象の虫、鳥、獣がいますが、もし現代人がゴキブリをみた時みたいに
「きゃーーーーーーーーーー!!!!!!!!」
と叫びながらいちいち失神していたら、とてもじゃないですが仕事になりません。
動物(ペット)、植物を見ると心が落ち着く理由
共に厳しい自然を生き抜こうよ! という仲間だった
だから多分、ヒトにはそもそも、動植物を見ると安心する気持ちが備わっているはずです。
これは私の仮説です。
・初対面の種類の動植物には、闘争逃走反応で敵か味方か確かめる
・味方だと身体が記憶したら、その動植物は共存のパートナーとなる
・パートナーだと身体の記憶(手続き記憶)で覚えた相手には、安心感を覚える
=セロトニンやオキシトシンが出る
そうじゃないとやっていけないので、たぶんそうプログラミングされているはずです。
だから、植物を育てたり動物を飼ったりするとメンタルが安定するのですね。
ヒトが強くなりすぎて、パートナーはペットに降格した
かつてヒトが犬を飼ったのは、文字通り番犬として見張りをしてもらうためでした。
でも今はホモサピエンスが強くなりすぎた。
だからシェパード犬も、うちの劇弱ハムりんも、同列にペットショップに売っています。
でも考えてみてください。
番犬として鬼優秀なシェパードと、ネズミを食らう猫ちゃんと、ハムりんと、ハムりんの餌である昆虫が、
100平方メートル以下の小さなお店に同時に存在しているこのカオス感。
本来はペットの種類によって感じる気持ちは違うはず
だから「オキシトシン」と言ってしまえばそれまでですが、
また1000年前の荒野のユーラシア大陸を想像すると、
シェパードが隣にいてくれたら、すごく心強くて安心してホッとしますよね。
猫みたいに気まぐれな肉食動物が懐いてくれたら、単純に嬉しいですね。
ハムスターやネズミは害獣ですが、昔の人はネズミに一々腹を立てていたら1日中ネズミのことだけ考えて終わってしまうので、
たぶん小さい害獣や害虫にたいしては「短い命を頑張ってるな」と親心で慈しむようにできているのではないでしょうか。
つまり、ヒトは進化の過程で、動植物にいろんな理由をつけて愛おしく思うことで彼らを見方につけてきた。
動植物を仲間にしていく戦略、それこそが進化ではないかと思うのです。
動物と日本のホモサピエンス
これも私の仮説ですが、アクア仮説(ヒトはサバンナではなく海辺で生まれた)を採用するなら、
たぶん何十万年も昔から「藻」「海藻」「貝」「魚」を食べていたはずです。
日本人の大半は貝塚や古代遺跡から見つかった遺物を見る限り、
弓矢で動物を殺して食べるようになったのが1万年前くらいです。
それも一部の地域だけ。
さらに、家畜を全国的に集団で買い始めたのは明治時代以降になる(ニワトリは別)ため、
たぶんアミニズム(自然崇拝)の土着の信仰形態もあって、
動物を見ると畏敬の念が湧くのは日本人なら特に当たり前なんだと思います。
動物は神様の使いであり、食べ物や支配し駆逐する「敵」ではなかった。
ヒトとヒトは同族嫌悪で殺しあうけれど、動植物は味方であるというのが、
少なくとも日本人に長く受け継がれてきた文化なのではないでしょうか。
植物と日本のホモサピエンス
和歌、華道、香道、茶道ーー自然を楽しみ尽くす文化的芸術
だから日本発祥の芸術には、自然がやたらと出てくるのではないかと思います。
和歌の季語の多くは自然や季節の動植物です。
華道も香道も植物の彩りや香りを楽しむものです。
茶道なんてお茶の木の葉っぱを砕いたものをお湯で飲む、ということに
猛烈な付加価値をつけて「道」にまで仕上げたということはすごいです。
薬とはかつて動植物だった
時代劇をご覧になると、よく医師が薬草をまぜてすり潰しているシーンがあります。
かつて、薬とは、動植物そのものでした。合成する技術がないですから。
イギリスではアロマテラピーとして、
中国文化圏(日本含む)では漢方として、
インド文化圏ではアーユルヴェーダのハーブとして、
それぞれ独自の進化を遂げたのが伝統医療です。
伝統医療は「病気にさせない」ことに主眼が置かれていますので、
現代の「病気になるまで社畜で働け! 病気になったらクビ!」という方針とは
180度違いますし、身体が弱いトラウマ持ちの方は伝統医療を取り入れるべきという私の主張もご理解いただけるかと思います。

私の個人的体験とペット
やはり「お手本的近代人」では限界がある
私はむちゃくちゃ「近代合理主義」「近代理性主義」に適応して生きてきました。
都市で生まれ、都市で育ち、蚊以外の動物をほぼ見かけない暮らしをしてきました。
そして本人記憶もないですが、えらいたくさんトラウマも抱えていました。
ただ、保育園→学童という鍵っ子生活をしていたため、
しょっちゅう森や公園に連れて行ってもらい、遊びを教えてもらいました。
実はこれが、Apple製品と並んで私のトラウマケアの最前線だったと思うのです。

「本当の本当の本当に一人」になったことは一度もない
公園に行けば「草笛おじさん」「竹トンボおじさん」が遊びを教えてくれるし、
池に行けば「カルガモおじさん」に鳥の名前を教えてもらうし、
都会とはいえ名前もしらないたくさんの人たちに自然との調和の仕方を学びました。
人間とわかり合うことは極めて難しかったけれど、
辛い時は都市のマンションのベランダから星を眺めたり、
親の反対を押し切ってハムスター飼ってお世話させてもらったり、
学校のウサギやニワトリのお世話をしたり、カイコを育てたり、
そういう中で孤独感を抱いたことはなかったのです。
アゲハチョウが私をマインドフルにしてくれた
トラウマのある複雑性PTSDの人は、儚い命と向き合うべし
子供時代はなんとかそうして動植物と自然に助けられて乗り切りましたが、
やはり都会のキャリアウーマンというのは私には合わなかったようです。
昨年、偶然オレンジの木を育てるようになって、そこにアゲハたちが来てくれた。
最初にお世話したのは、クロアゲハのクロすけ。続いてワカ。
彼らは羽化に失敗して、羽を広げることのできなかった子です。
でも大切に大切にお世話したら、40日も生きてくれました。

そしてこの記事に書いたように、ナミアゲハの6匹を育て上げて、
儚い命にもすべて個性があり、まったく性格が違い、それは躾ではどうにもならないことを感じたのです。
そして、あのとき私は確かに親になっていて、親をやり遂げた。
8匹の自由なちょうちょを心から愛し抜いた。すごく自信がついたのです。
今まで正直、親が何たるか分かっていなかった。でも私はできた。
そうして、私は私の親になっていく、その一歩を踏み出すことができたのです。
自分で自分の親になるというのは、アダルトチルドレンや解離の人の最終的なゴールです。
有限の命が、人生を無限に輝かせる
私はおそらく自閉症と双極性障害的素質を持って生まれ、
生育環境のせいでADHDも学習障害も愛着障害もあって、いじめも虐待も体験して、
人生を悲観して自暴自棄になるには材料は揃いすぎていたと思います。
でも人生を一度も悲観したことがなく、常に成長に向かっていたのは、
守るべき命(父)の有限性、儚さ、だからこその時間の尊さを痛感していたから。
それが良いことだとは思わないし、誰にも同じ思いをして欲しくないけれど、
でも一つ確かなことがあるんです。
命は有限だから輝くし、輝かせようと必死になる、ということ。
現代人は「無限病という刑に処せられている」
逃れられない「永遠」「若さ」「幸福」への強迫観念から自由に
現代人は「無限」という病に取り憑かれていませんか。
努力さえあれば無限に「能力」「筋力」「肉体美」「若さ」「幸福感」が得られると。
でも、その努力をして、本当に幸せなのか。
私は無限のために猛烈に無理して解離して、病気だらけになりました。
永遠のための努力で、身体はリラックスして生きている実感に包まれるのか。
自分の血を分けた子供を虐待しながら追い求めるほどの美や能力など、要るのか?
結婚という契約を交わした家族を殴る/罵るまでして得た地位に何の価値がある?
無限に生きることより、今を最高の瞬間にするべきではないのか?
誰もが同じ、明日死ぬかもしれない運命を生きている。
だからこそマインドフルになって、今この瞬間を精一杯生きなきゃ。
怒りや妬みや憎しみに囚われている時間の余裕なんて、本来ないはずなのです。
10万年前から続くライフスタイルを、ちょっと取り入れてみよう
無限病は資本主義社会が見せる幻です。
そこから自由になるには、10万年前と同じ暮らしをすれば自然と少し戻ります。
いつも儚い命の動物・植物と支え合って暮らし、
迷い込んできた虫さんを叩き潰したときはそっと黙祷し、
共に逆境を乗り越える家族や共を慈しみ、小さな幸せで満足する己に満足する。
この「ホモサピエンスとして何十万年も慣れ親しんだ暮らし」に戻ることが
トラウマやPTSDで神経が改変された人には最大の治療であると思っています。
そこに大規模な転居も、転職も必要ありません。
ただ自宅に小さな命を招き入れて、支え合って生きていく。それだけなのです。
小さな命、小さな慈しみの心を取り戻せば、自分への労りの気持ちが解放されます。
それが、自分を努力で切り刻むことを運命づけられた現代人の、
「ペットセラピー」が意味する癒しの効果なのではないか、と私は思います。
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