親子二代(もっとかも?)で自己愛性パーソナリティ障害の人の脳内。
今回は「パーソナリティ障害」に至る背景についてです。
きっかけはやはり親の自己愛
すでに亡くなった父は、おそらく自己愛性パーソナリティ障害でした。
幼児性万能感に囚われ、自己愛憤怒しまくり、会話はほぼ「モラハラ自己紹介」。
そして母親はアスペルガーベースのサイコパス(ソシオパス?)。
三人家族で両親ともに「支配洗脳して自分の快適を守るタイプ」でしたから、当然支配欲の矛先は子供に向かいます。
とはいえ核家族ですから、両親どちらかに懐かないと愛着が形成できません。
父親に懐いたのは消去法だったのかもしれません。
ただ、父は社会的には立派だったし、自分を律する自制心の塊でした。

家族にしていたのはもっぱら「自己愛の自己紹介」と「自己愛憤怒」。
そこがいわゆるモラハラ男とは違うところです。でも人格にはかなり問題がありました( ̄▽ ̄;)。
とは言え、洗脳支配親の強すぎる影響力で、私は人生のスタートから人間観を大きく間違えたのです。
「自己愛って最強の人類だ! 私も大きくなったら最強の自己愛になるんだ!」って。
これ、今は冗談みたいに書けてますが、本気で信じていました。
これを読まれた親御さんは、子供を自分色に完全に染め上げることの恐ろしさを感じていただけたかと存じます。
親が未熟さゆえに間違えてしまったとしても、
子供は放っておくと30代のあなたを一生真似し続けます。
では、本編スタートします。
自己愛人間が心の底から憎い方は、不快になると思うので読まないでくださいね。
負けたら死ぬという謎の恐怖心(背景)
大げさだと笑われるかもしれませんが、虐待サバイバーや臨死体験までしている人は、
身体が神経レベルで「生きるか死ぬか」の究極状態になっています。
これを神経的に言うと、ストレス反応で交感神経が過剰になり、闘争逃走反応がずっと続いている状態です。
なので、高校生以降は、脳内の謎の声「負けたら終わり。負けたら死ぬ」にずっと悩まされていました。
本来の私(いま書いている私)は争いごとがあまり好きではないし、
他人を蹴落として上に行きたいというより、和をもって尊しと為すの方がしっくりきます。
ただ、受験戦争で下手に勝ってしまったために、気づいたら苦手な「弱肉強食フィールド」にワープしていました。
勉強が楽しくてしていただけなのに、いつの間にかバトルロワイアルの登場人物になっていた感じで、
生まれつき神経が「生きるか、殺すか」の極限状態に適応していたため、
資本主義社会(学歴社会)に過剰適応してしまいました。

幸せが怖いから不幸でいたい(背景)
私にはたぶん、オキシトシン的幸福感(愛情・絆ホルモン)が薄かった。
それは虐待のせいでもあるだろうし、小児期トラウマのせいでもある。
自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)のせいでもあります。
とにかく「基礎的信頼感」=普通に人を愛して信じて頼る安心感という能力が欠けていた。
なので、「闘争逃走状態が終わって平和になったら、ソルジャーの私は不要になる」という謎の思い込みがありました。
FF7のクラウドみたいな(あんな強くないけど)、周りは平和で一人戦士状態だったのです。
「幸せになるのが怖かった」
これは最近やっと抜けました。フラットな状態も受け入れられるようになりました。
それまでは、挑戦者でいないと耐えられなくて、それに理由がなかった。
友情でも恋愛でも、関係が穏やかになってくると耐えられない。
で、無意識に暴走して波風をわざと立ててしまって、
本人も理由はおろか理屈も分からない、なぜかそういう人生でした。
「波理論」で生きてきたため、幸せの陶酔感の後にくる絶望のギャップに苦しむくらいなら、
陶酔感なんていらない! 幸せ不要! だから絶望だけはごめん。そういう気分でずっと生きてきました。
渦巻く被害者意識(背景)
神経過敏な人は、ストレスが限界値を超えてしまいやすいです。
川の堤防が低いので決壊しやすい状態にあるのです。

なので、体質的に神経過敏な人ーー発達障害やトラウマ体質やPTSDやHSPーーは、無理しない・無理させないが鉄則です。
ただ、親の庇護下にある子どもが親の問題に振り回される時はどうしようもありません。
そうやって、そもそも決壊しやすい堤防なのに、親がしょっちゅう、大量の濁流を放り込んでくるわけです。
自分のせいじゃないのにストレス対応しなければならないことが多すぎました。
でも、本質的には自分のせいじゃないから対処出来たのです。
いちいち自責してたら死ぬしかないですから……。
なので、強いストレスが来たら、一旦自分の問題から切り離すというクセがついています。
世の中が辛過ぎて、まともに反省していたら身が持たなかった。
だから追い詰められると被害者ヅラしがち、という欠点があります。
私は社会のゴミ・必要とされるなんてあり得ない(背景)
これも不思議な思い込みでした。
おそらく小児期トラウマや愛着障害(毒親育ち)特有の感覚です。
どんなに実績を残しても、
「私は人間のゴミ。愛されたり必要とされる身分じゃない」
と絶対的に思い込んでいました。
アホくさいとは分かっていても、この思い込みは理性では消えません。
これも一回一回、この妄想が浮かんだら認知で打ち消していました。
つまり無意識レベルでの思い込みです。
こういう圧倒的な劣等感があると、「人間ぽい人」のすべての行動が理解不能でした。
ディスられるのや虐待は慣れてるし対応できるのですが、
褒められたり愛されたりすると途端に「未体験ゾーン」過ぎて、
「いや、あの人は口では信頼していると言っているが、そんな資格が私にあるはずがない! 目を覚ませハッチ! お前は奴隷に戻るんだ!」
という無意識の力が働いて、信頼してくれた人に冷たく当たりってわざと嫌われないと気が済みませんでした。
その冷たく当たる行為がモラハラチックであったことは認めざるをえません。
ただ、それは決して心からの上から目線だったのではなく、
「あなたのような高貴な人間さまは、私なんか下の下の下の下の下の下の下の下の下の下の奴隷なんかと付き合ったら腐りますよ!」
というスタンスからしていたのですね。
虐待の爪痕だと今なら分かります。
でも、半年前までの私は、誰と居ても誰と話していても、心の底では申し訳なくて申し訳なくてたまらなかった。
人外である私と話すなんて、究極の時間の無駄ですから。

「自己愛=資本主義のソルジャー」でない自分は人間じゃ無い(背景)
たくさん書いた小説を新人賞に一度も応募しなかったのも、
自分が人間の一部だとは冷静に考えてとても思えず、人間じゃないものが書いた小説が相手にされるはずがなかったからです。
人間だと思えるのは、父の真似をして自己愛している時だけ。
自己愛=人間界との境界でした。
父が人間じゃない、自己愛の化物なんだっていう真の答えも、心のどこかでは分かっていたんです。
でも、それを認めると父を支えてあげられなかったから、私は洗脳状態に身を置き続けました。
父と同じように学歴社会に身を投じ、会社でシャカリキに働いていた。
男尊女卑の日本で、女が学問して働いたところで何になるわけでもない、
資本家と男性に若さだけ使い潰されてオワコンと分かっていながら、
同期男子と同等になんて少しも評価されない現実に憤っていました。
どうにもならない社会に怒り、さらにシャカリキに働いて、倒れました。
うーん、この感覚、多分サバイバーは「そうそれ!」ってなるのですが、
多分普通に育った方にはまったく意味不明に映るだろうことが想像されます……。
それほど、同じサラリーマンヅラしている人にも色んな背景があること知っていただけたら幸いです。

なんで◯◯してくれないの? の罪悪感虐待親(攻撃の背景)
ここからは、家庭環境が与えた「潜在的攻撃性パーソナリティ」への影響です。
母が発する言葉のほとんどは、この罪悪感植え付けパターンです。
「私はこんなに頑張ってるのに、なんで◯◯もしてくれないの?」
片付け、料理、洗濯、育児……。
すべてのことに罪悪感を持たせなければ会話もままならないのです。
これを完全無意識・天然ぶりっこスタイルでブチかましてくるので破壊力は絶大。
子供なんて簡単に「私が全部悪いんだ。お母さん可哀想」と洗脳されます。
母はいまだにこの話し方しか出来ません。60過ぎて。可哀想。
ともかく罪悪感で支配するタイプの「マニュピュレーター(操作支配する人)」「カバートアグレッション(隠された攻撃性)」の権化様なのです。
虐待も足がつかない(バレない・証拠を残さない)ことを徹底していましたよ。
痕がつくところは攻撃しないとか、いつも何か正当な根拠っぽい言い訳を用意しておくとかね。
痩せすぎると検診で虐待だー!って騒がれて面倒なので最低限エサを与えるとか。
私も洗脳がとけた数ヶ月前まで、時折これになってしまっていました。
「お母さんと同じにしてただけなのに……」
無知というのもまた、罪です。
マニュピュレーター(他人を支配せずにはいれない人たち)
・被害妄想や虚言、虚偽のプロ。無責任かつ自己中心的で良心が無い
・思い込みが激しい。自然体で記憶すら簡単に捏造し、信じ込む
・責任転嫁の程度が著しい。「投影」で他人や社会のせいと思い込む
・恨む、妬む、怒る。自分は常に100%正しいネガティブ人間
カバートアグレッション(隠された攻撃性)
・一見良い人そう。評判もいい。でも身内を徹底的に搾取する魔物
・特徴:①無垢・無知・混乱を装う(ぶりっこ)、②都合の悪い事柄を回避する(逃げる)、③嘘をつく(すべてが嘘)、④急に怒る(ヒステリーと演技を使いこなす)、⑤被害者を装う(責任転嫁のプロ)、⑥都合よく解釈して正当化(モラハラ思考回路)、⑦相手を罪悪感で支配する(本記事)
すべての表情が怒りに感じる(攻撃の背景)
これは愛着障害の恐ろしさです。
私はつい最近まで、目線は全て怒りまたは挑発だと感じていました。
怒号飛び交う家で、怒らればっかりで育つとそうなるようです。



それをいつも一回一回、認知で打ち消すのです。
正直、すごく面倒ですごく疲れる作業でした。
「( ゚д゚)ハッ!いま怒りの表情した! 怒られた! ん? 怒られた? いや違うな、平常心平常心……」
みたいな脳内会話を、人と話している間中ずっとしているのです。
だから人と話すのは大好きなのに、一定時間以上立つと脳の疲労により限界にきていました。
ストレスやプレッシャーや物理的忙しさが限界になっていると、
もうその脳内会話をしている余裕がなくなってきます。
だからもう「無表情=敵意」と認識していました。
交感神経優位の攻撃ポジションのときは「にらんだな、やり返すぞコラ」になり、
そうでないときは「怒らせちゃった。しょぼん。どうせ私なんて死ねば良いんだ!」と
ものすごく極端なメンタルの間を行き来していました。
結局、無表情が怖いタイプの人とは友達にならないように気をつけて自衛しました。
ここまでが、ちょっと重ためでしたが、おそらく私以外の自己愛性人格障害の人にもある程度共通するところのある
「The road to 人格障害」=序章でした。
一旦、診断基準をご紹介
性格の障害者である自己愛性パーソナリティ障害ですが、
実は他にも色んなパーソナリティ障害があり、それは追ってご紹介します。
まずは「パーソナリティ障害って何?」から。
パーソナリティ障害全般における主な診断基準
★基準A 以下の事柄について著しく偏った状態が持続し、様々な領域で認められる。
(1)認知(自分自身や他者に対する認識、知覚した出来事に対する解釈の仕方)
(2)感情(感情の範囲、強さ、不安定さ、適切さ)
(3)対人関係における各種能力
(4)衝動性の制御
★基準B 基準Aに関して柔軟性がなく、派生する問題は個人的・社会的状況の幅広い範囲に広がっている。
★基準C 基準Aに関する問題により、苦痛を感じたり、日常生活・社会的活動(学業・職業など)に支障をきたしている。
★基準D 基準Aに関する問題は、安定して長期間続いており、少なくとも青年期または成人期早期において確認される(※それよりも以前の場合もある)。
★基準E 各種症状の発症原因が他の精神疾患では説明できない。
★基準F 各種症状は薬物などの外的要因や身体疾患によって引き起こされているものではない。
(DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアルP636〜637を参考に作成)
自己愛性パーソナリティ障害の主な診断基準
空想や行動における誇大性が強く、他者から賛美されたい欲求、他者への共感性の欠如などが以下のうち5つ以上の特徴によって示される。
(1)自分が重要な人物であるという誇大な感覚。(※注:業績の有無に関わらず)
(2)限りない成功、権力、才気、美しさ、理想的な愛の空想にとらわれている。
(3)自分だけが特別・独特であり、自分と同様に特別だったり地位が高い他者(集団)だけが自分を理解でき、そういった他者(集団)だけが自分と関係があるべきだと信じている。
(4)他者からの過剰な賛美を求める。
(5)自分は特別有利な取り計らいを当然してもらえる権利がある、自分が期待すれば相手が自動的に従うことが当然であるという感覚を持つなどの明確な理由のない特権意識がある。
(6)対人関係において他者を不当に利用しようとする。(注:自分自身の目的を達成するために)
(7)共感性が欠如しており、他者の感情や欲求を認識しようとせず、それに気づこうともしない。
(8)他者に嫉妬心を抱くことが多く、同時に他者が自分を嫉妬していると思い込んでいることも多い。
(9)尊大で傲慢な態度や行動。
(DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアルP661〜664を参考に作成)
合計2万字くらいになってしまいそうなので、章を分けさせていただきます。なるべく冷静に頑張ります。
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