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【当事者分析】私の中の自己愛性パーソナリティ障害 虐待と愛着障害編

自己愛性人格障害・自己愛性パーソナリティ障害 「治らない病」克服日記
自己愛性人格障害
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前置きが長くなりましたが、診断基準に照らし合わせて、

私という事例を通してケーススタディをしてみようと思います。

そういう趣旨なので、猛烈に加害者の自己弁護トークが続きますが、ご容赦くださいね。

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一旦、診断基準をご紹介

性格の障害者である自己愛性パーソナリティ障害。

まずは「パーソナリティ障害って何?」から。

パーソナリティ障害全般における主な診断基準

★基準A 以下の事柄について著しく偏った状態が持続し、様々な領域で認められる。

(1)認知(自分自身や他者に対する認識、知覚した出来事に対する解釈の仕方)

(2)感情(感情の範囲、強さ、不安定さ、適切さ)

(3)対人関係における各種能力

(4)衝動性の制御

★基準B 基準Aに関して柔軟性がなく、派生する問題は個人的・社会的状況の幅広い範囲に広がっている。

★基準C 基準Aに関する問題により、苦痛を感じたり、日常生活・社会的活動(学業・職業など)に支障をきたしている。

★基準D 基準Aに関する問題は、安定して長期間続いており、少なくとも青年期または成人期早期において確認される(※それよりも以前の場合もある)。

★基準E 各種症状の発症原因が他の精神疾患では説明できない。

★基準F 各種症状は薬物などの外的要因や身体疾患によって引き起こされているものではない。

(DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアルP636〜637を参考に作成)

パーソナリティ障害の3つの大分類

クラスターA、B、C

パーソナリティ障害で主に問題になるのは、クラスターBと呼ばれる「厄介な人々」です。

クラスターBには、「反社会性」「境界性」「演技性」「自己愛性」の4つのパーソナリティ障害があります。

ちなみにクラスターAはちょっと変わった人として「猜疑性」「スキゾイド」「統合失調性」の3つが、

クラスターCは自閉気質と極めて類似する「強迫性」「依存性」「回避性」の3つがあります。

それぞれクラスターをまたいで重複する例もあり、

私の場合はクラスターAの猜疑性パーソナリティ障害、クラスターBの境界性パーソナリティ障害と自己愛性パーソナリティ障害、クラスターCの回避性パーソナリティ障害と強迫性パーソナリティ障害を持っています。

クラスターBの分析

思うに、虐待サバイバーなどの「十年以上、他者に危害を加えられ続けた」子どもは、

親が子に甘えている「親子逆転」なんて高度なことは理解出来ず、

ただひたすらに他人を攻撃し、攻撃は最大の防御と考える人間へと自然に成長します。

または、もう生きているのか死んでいるのか、自分が何を言っているのか分からないほど混乱しながら生き延びます(境界性)。

そうでないと世界が矛盾だらけで気が狂ってしまうからです。

身体の弱い人(女性)は境界性パーソナリティ障害に行きやすく、身体の強い人(男性)や、富と名声ある家庭の子どもは自己愛性パーソナリティ障害に行きやすいと個人的に思っています。

あくまで私個人の基準ですが、自己愛性が酷くて、誰がどう見ても完全に「人格の障害者」な人は、男女ともに体格の良い人が多いです。

逆に言うと、恵まれた体格を持ちながらも他人を罰することに必死だったり、

生きるために虐待・DV・モラハラなどの他人を攻撃することを必要する目の色がおかしいタイプは、

私個人的にはほぼ虐待サバイバーです。

ただし、虐待サバイバーと一言で言っても、虐待された時期によっては記憶が無いことも多いので注意!

本人や家族の話や記憶はアテにならないと思っていただいたほうがいいです。

一方、生まれつきのサイコパスが親のDVを見て育つと、犯罪も殺人もなんとも思わない人間になることも(反社会性パーソナリティ障害)。

サイコパスは脳科学の用語であり、そういう脳を持っているからと言って全員犯罪者になる訳じゃないのでご注意を。

また、母親または父親が過度に性的/人間的に魅力的で奔放な家庭で育つと、演技性パーソナリティ障害になりやすいと感じます。

ママが小悪魔系美魔女すぎて、夜のお仕事ですごい儲けてます……という高校時代の女の知り合いは、ザ・演技性パーソナリティ障害でした。

自己愛性パーソナリティ障害の主な診断基準

DSMⅤの診断基準だけでは判断が難しいと言われていますが、医師も使う基準なので再掲しますね。

空想や行動における誇大性が強く、他者から賛美されたい欲求、他者への共感性の欠如などが以下のうち5つ以上の特徴によって示される。

(1)自分が重要な人物であるという誇大な感覚。(※注:業績の有無に関わらず)

(2)限りない成功、権力、オ気、美しさ、理想的な愛の空想にとらわれている。

(3)自分だけが特別・独特であり、自分と同様に特別だったり地位が高い他者(集団)だけが自分を理解でき、そういった他者(集団)だけが自分と関係があるべきだと信じている。

(4)他者からの過剰な賛美を求める。

(5)自分は特別有利な取り計らいを当然してもらえる権利がある、自分が期待すれば相手が自動的に従うことが当然であるという感覚を持つなどの明確な理由のない特権意識がある。

(6)対人関係において他者を不当に利用しようとする。(注:自分自身の目的を達成するために)

ご参考に下記掲載の上、以下のエピソードでは、見出しに該当する番号を()で示しています。

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万能感に囚われている(1・2)

これはまさに当てはまります。

父も絵に描いたような「万能感ファンタジーの妖精さん」でした。

俺にできないことはねえ! という怒涛の努力で困難を打開して行きました。

キャリアアップ転職はするわ、次々新ビジネスに首つっこむわ、パワーがすごかった。

でも身体はひょろひょろで女性みたいにツルツルなタイプ、しかも病人だったので、

子供ながらに「万能感こそが父のガソリンだ」とは気づいていました。

それで、社会人になって大人の発達障害やら体力低下やらトラウマ体質からいろんな不適応になったとき、

「自己愛ガソリンに切り替えよう」と身体が自動的にそうなりました。

万能感があったから、会社でも腐らずそこそこ成果も出せたのだと思うけれど、

万能感があったから、病気と気づくのが遅れ、倒れるまで働いてしまった。

万能感は本来はズタボロの身体と脳の機能を嘘でメッキ塗装するすごい機能です。

でも、使えば使うほどメッキだけが厚くなり、どんどん解離を使って身体感覚を切り離さないと万能感が使えなくなります。

ニコチン中毒とあんまり変わらないのかも。

死んじゃったら全部終わりなので、やはり万能感を使うのはほどほどに。

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博愛主義のはずなのに、努力してない人に異常に厳しい(3)

この価値観は私(というか父)のものであって、みんなそれぞれ違います。

女という生物は全部劣っていると考える人は、ネトウヨさんにたくさんいらっしゃいますし、

お隣の国の人は全部○○だからdisっていい、と決めつける人も多いですね。

決めつけって知能(前頭葉の機能)が低下した状態で起こります。

また、強いストレスに晒され続けると、ヒトは情報処理能力(知能)が低下します。

私は生きるのにいっぱいいっぱい過ぎてお猿さんになっていたのでした。

見下す対象は人によってバラバラだと思います。

たまたま努力至上主義の家庭に生まれたので、私は当然のように怠慢な人を見下しました。

そうじゃないと、休む暇も寝る暇もないほど努力している自分が「異常」になっちゃいますから。

ただし、「夢」の記事で書いた通り、生まれつきのハンディには寛容なところがあり、

結局「同じくらいのスペックの人にすごく厳しい」という変な価値観が出来上がりました。

それは繰り返しになりますが、

「父を尊敬しなければ家族が崩壊し、父が死ぬ」

という無茶苦茶な思い込みからくるもので、元は自己愛じゃなかったんだと今は思います。

死生観・桜・七つの習慣・ハイデガー・フロム・量子力学

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disることは愛情表現だという勘違い(8・9)

本当に恥ずかしいのですが、小学校3年性までは、ただ親の真似をしていたので、

ディスる=愛情表現

だと本気で思っていました。

毎日毎日、本気のぶつかり稽古(夫婦喧嘩)を目の前で見続けさせられ、

親の片方が視界から消えると、もうその瞬間から互いの相手の実家の悪口が吹き込まれました。

「母の実家は最低だ! 金を借りるなんて人間のすることじゃない!」

「お父さんの実家は私をこんなにいじめるの! 電話もしょっちゅうかかってくるし!」

幼すぎた私はただ聞いていることしか出来ず、むしろ大好きな祖父母が無茶苦茶に貶されているのをウンウンと聞いているしかありませんでした。

母親と二人になるとストレスの吐口にされ、やることなすこと怒鳴られまくりだったので、

「人間ってのは相手をけなすことで愛情表現するに違いない!」

と思わないと世界が成立しないので、無意識に刷り込まれていたのだと思います。

だから友達を愛情2000%でdisっていました。

悪口もバンバン言っていました。

うちの食卓の話題の8割は、父親が会社の人の悪口を無限に言い続けるのをじっと聞くタイムだったからです。

私が保育園の話を自分でした記憶は無いですね。物心ついた頃から父の悪口マシンガントークをずっと聞いて、ただ共感してあげていました。

一方で、理性的な優しさは十分持っていたため、

「私は二重人格かも」

という疑念は小学生の頃からはっきりありました。実際は二重人格どころか何重もいるのですが(^◇^;)

でも、小学校5年生くらいで、発達心理学でいう抽象思考が出来る「形式的操作期」に入った頃、

「あれ、悪口とdisりって倫理的にダメだったんだ!」

と気づいたのです。遅いですよね……。でもそれから一切言わなくなりました。

ただ、これには例外がついてしまったのです。

「お父さんは「権力者」と「能力が低いやつ」はいつもdisってる。だから良いんだ!」

「愛情を厳しく表現するときもある! でないとうちの家族の矛盾に耐えられない!」

これで私の自己愛人生が本格始動してしまったのでした。

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10代で彼氏を夜通し論破し続けた(9)

ここからすごく恥ずかしい過去に入りますが、なるべく冷静に書きます。

同じくらいのスペックの人ならいくら厳しくしつけ(虐待?)しても良い、というのが家訓だったため、

10代の頃、彼氏を一晩中説教し続けたことがありました。

今思うと結構ゾッとします。彼はマゾだったんだろうか……私が怖かったのか……。

かつて話題になった女性議員よりは冷静に理屈だけで追い詰める感じ(゚ω゚)でした。

少なくとも、自己愛性人格障害者お得意の「洗脳支配」をやってました。

私は善意1000%でした。

彼をもっと懐の広い人間にして、もっと学業でも活躍できる人にしたくて、

その一心だったけれど、今思うと完全にやり過ぎてましたね。

人格否定的な「論破」をしていました。氏や育ちに口を挟んでいました。

「あなたのため」を口グセに教育虐待するママさんたちとまつたく同じことをしました。

もともと自己愛父に議論力は鍛えられていたので、弁が立ちすぎるところがあり、

つい、父のように、言葉がすぎてしまう。強くなってしまうクセがあったし、

相手を完膚なきまでに理屈で殺す、というスタイルを受け継いでいました。

父が死んだ今は、それがいかに「普通の女子大生」から外れていたか分かります。

でも当時は……自己愛パラダイムにどっぷりで、分からなかったのです。

本気でそれが愛情だと思い込んでいましたから、洗脳が強くかかりすぎて解けようとありませんでした。

天然とか、変わってる、で許されてしまった面もあります。女だから許された感はあります。

こともあろうに、徹夜で説教して、それを「いいことした」と思っていたのですから

私もそうとうヤバイやつ「だった」ことが露呈してしまいました。

その人には当たり前ですが手痛いしっぺ返しを盛りだくさんいただいてお別れしました。

あまりの辛さで、自己愛な私も自分の愛情表現のおかしさを身に染みて理解し、

20歳でやっと自己愛性「人格障害」ではなくなりました。

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普通の人に憧れるのに、近づくとガッカリする(2・理想化とこきおろし)

アスペ一族で育つと、会話はすべて知的な会話オンリーになります。

と書くと、一見良さそうですが、これも虐待行為の一つであったと思います。

「はっちゃん今日はどんなだったの? 楽しかった? そう、良かったね」

的な会話は、私が自分のことを話さなかったこともあり、記憶にありません。

父親は手加減なく、特許技術レベルの学問的な話や、マルクス経済学の問題点を5歳の子供に聞かせ、

「理解できない」という態度をすると露骨に嫌な顔をしました。

そんなわけで、小学校高学年の頃には、マルクス主義と学生運動の是非について対等に議論させられていました。

一見、英才教育に見えるかもしれませんが、家族の話題が最先端バイオ研究か政治経済か源氏物語の解釈か悪口か夫婦喧嘩かなので、

同級生と全然話が合わず、小学校低学年は本気で苦労しました。

自閉スペクトラム症を持って生まれると、そもそも雑談が苦手なのに、雑談を親に教わらなかったので……。

雑談は今も苦手です。

そこで不必要な孤独感を植え付けられた感はあります。

そんなんで育ったので、「普通の夫婦」がマジで分からなかったのです。

これもお恥ずかしいですが、少女漫画やアニメを見て友達の会話を勉強しました。

自分の家族が変だと言うことはざっくり分かっていましたが、

だとしても変だと認めると自分のアイデンティティが崩壊するし、

妙竹林な教育のせいで愛着障害だとか、サバイバーだという事実を認めたくなかった。

あくまで「良い家族イメージ」のぬるま湯に生きていたかったんです。

当時の私は、自分の生い立ちが「不幸」であるという事実を受け入れられるほど強くなかったのです。

つまり、アイデンティティの危機にさらされていたから、無茶苦茶なことも言ってしまった。

父親はいつ死ぬか分からず、母親は常にヒステリーと溺愛を行ったり来たりの不安定状態で、

非常に強いストレスがかかり、「闘争逃走反応」に常に置かれていました。

普通の家庭育ちの人とお付き合いすると、無性に相手を詰ってしまった。

いけないと思いつつ、自分の生い立ちを正当化し、普通の家庭の子どもを否定することで自分を守ろうとしていました。

「あなたはボンボン育ちすぎて、庶民の暮らしは分からないかもしれないね」

そんなクズ発言を、大学生の頃はしていた記憶があります。

その後、育ちについて云々言うのは間違っていると気づいてからはやめましたが……。

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無限の美にとらわれる(2)

自分の美醜にはそんなにこだわりがないのですが、造形美にはこだわっていました。

家具とか、文房具とか、あとは服ですね。

とにかく美しく造形が素敵な服に包まれているだけで元気になれる。

あと、理想にはこだわりすぎていました。

理想の家族、理想の職場、理想の仕事、理想の私にこだわるがゆえに、

いつも満足することができなくて、理想から外れている自分が歯痒くて、

苛立って「努力してないやつディスり」「権力者ディスり」をしていました。

これはすなわち、自分の本性は一見良い家庭なのに内情はものすごく劣悪な状況という二面性のある家庭で育ったため、

ボロボロの心身を無視して理想にすがりつくという行動パターンが刷り込まれていたのです。

という感じで、今回は主に虐待や愛着障害の観点から性格の歪みについて論じてみました。

サバイバーさんの心のうちを少しでも代弁できていたらいいな。

虐待された子どもは大きくなったらこうなるんだ! と知っていただけたら、

胸糞悪すぎてご自身の子どもを虐待する気が失せないかな……と淡い期待を込めて。

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