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「治らない病」克服日記はじめて来てくださった方へトラウマ(PTSD、PTG)解離

オール5、学年1位に子供をさせる方法〜【人格統合への道①】18歳までの私が合流しました

「治らない病」克服日記
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もう10年以上、特に高校時代の記憶が全然なくて

自分でも流石に「ちょっとおかしいかも?」とは思っていたんです。

4歳までの記憶と、6〜9歳の記憶も薄いのですが、

12歳〜17歳までの記憶は明確にクリアで細部まで覚えているのに、

高校二年生後半から大学二年くらいまでの記憶が「一部ない」のが怖くて。

コロナ禍でみんなに直接会うわけにもいかないのでZOOM同窓会したら

みんなも喜んでくれたし、気づいたら眠っていた自分も合流しました。

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ただ頑張れば、ひたすら努力すれば道は拓けると信じていたのに

ここからは18歳まで生きていた自分で書きます。

普段ブログを書いているのとは違う、「リアル友達から見えている私」で、以下、同じ人生を振り返らせていただきます。

口調が変わるのと、話にまとまりがなくなるのは、あえて放置します。

私は中学時代、虐待はもうなかったけれど、家にいづらくて、

でも転校先の中学校は、公立だけど幼稚園から持ち上がりの幼馴染ばかり。

みんな優しく、実は進学実績もすごくよく、イジメもなかったけど、

それでも転校生として疎外感は感じていました。

それで、中学二年の夏から通い始めた塾が大好きになりました。

どんどん痩せていって免疫が落ちて口唇ヘルペスになって風邪ばかり引いていたけれど、

田舎の塾はすごく家族的で、みんなで餅つきをしたり、合宿みたいなことをしたり、本当に楽しかった。

まあ今思うとストレスかかりすぎで、14歳にして、すでにもう身体ボロボロだったんですね。

学校が終わったら夜中まで塾にいて、勉強したら先生に質問して、楽しんで勉強しているから成績はすごくのびて、

ネガティブさがどこにもなくて嬉しかったんです。

家にいたら認知症の祖母から「お前の母親が金を盗んだだろ!」としょっちゅう電話くるし、

その後散々みんなに迷惑をかけて、遺産でも揉めて揉めて死んで、

母親は長年の重度のストレスから15センチ大の子宮筋腫摘出で死にかけるし、

引っ越し早々、父親は会社がM&Aで大企業に吸収合併され、

管理職として部下の配置転換と再就職に奔走していて疲れ切っていて、

遠距離通勤になり、やばい祖母の看取りもあっててんやわんやで、

結果として父親自身も転職活動をせざるを得なくなって、

家はバタバタで、自室になるべくこもって、居場所なんてなかった。

あゆじゃないけど、居場所がなかった、どこにも。

学校と塾とネット以外には。

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オール5で高校受験も上手くいったけど、完璧主義で押し切るクセがついたことがすべての始まり

私は解離という裏技が使えるし、恥ずかしいという感情もないので、

体育から美術から家庭科技術まで中学3は全部5でした。

探してたら見つかって、見てたらウケるのでキャッチ画像にしてみました。

これ、おかしいですよ。普通はヤバい子だって心配するでしょう。

というか、もともと体育や美術や音楽など体を動かすのが得意で、

解離しているから英語も得意(別人格で英語しかしゃべらない子がいる)

ストレスで記憶力が上がっているので、暗記系はなんとかなる、

という、まさに「メンタルヘルスの闇そのもの」な感じ、

その「めっちゃストレスかかってます」の最大の結果が、この通知表でした。

私の大好きな友達も何か「できないこと」があるけれど、

私は義務教育の範囲内であれば、「やればできないことはない」と分かってしまった。

だから、学校でも家庭でも、みんなが私を頼ってきましたし、

私も「頑張れば何でもできる(かも)」と思ってしまいました!!

頼られるのは嬉しかったし、若い時は解離をガンガン使っても頑張れたんです。

自分では意識してなかったけど、体育をしている私と、家庭科でエプロン作る私と、数学を解いている私は、

ちょっとだけ違う私でした。だからオール5である時点で、先生方に、私のSOSに気づいて欲しかった。

解離を使ったら身体がボロボロになるのに、誰もそれはケアしてくれなかった。

みんな、成績だけ見て、「すごいね」って。

すごい子だから、いくらでも頼って負荷をかけて良いって。

また、あゆじゃないけど、「いつも強い子だねって言われ続けてた そんな言葉少しも望んでなかった」。

身を削って努力するしか現状を打開する手段がなくて、それがマイスタイルになってしまった。

ひとりで考え事をすると真っ暗だから勉強で予定をぎっしり埋めた。

そういうアダルトチルドレンを、社会は「優等生」「秀才」と言いました。

私は自分が秀才だとは思いません。もちろん優等生したくてしてるんじゃない。

しないと家庭崩壊して親が死ぬからしてるだけ。

人生の裏技を総動員していたのに、自然な努力だけで取った成績じゃないのに、

東大文科Ⅰ類や理科Ⅲ類に入れるほどの「学問エリート」脳でもないのに

どんどん親の認識と私の認識がずれていくことが悲しかったです。

そして成績は伸び続け、体調もボロボロだったけど、もちろん学年1位で、高校に色々受かった。

あの高校が呼んだんだと思うんですよね。たぶん。

そしてクラス委員をし、崩壊した部活を建て直し、みんなの相談に乗り、

若さと責任感で限界を遠く超えた働きをした。それ自体は良いのですが、

その行動パターンがずっと続いてしまったのが問題の始まりでした。

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高校時代は本気でなんにも考えていなかった

それまでは塾にしか居場所がなかった中学後半でしたが、

高校に入ったらびっくりしました。私みたいな人がたくさんいたんです。

みんなも多分、裏技使った組だと思います。だから言わなくても通じ合えた。

人生で唯一あの3年間は、コミュニティに対して何の責任も取っていなかったし、取る必要がなかった。

保育園では殺人未遂犯と仲良くさせられ、小学校ではサイコパスや愛着障害児と壮絶ないじめ学園闘争をし、中学は転校生から優等生で責任に縛られてきた。

高校では、自分で自分のことができる人が多くて驚きました。

特に部活では本当になんにも考えていませんでした。

私はもともと勉強よりは運動が得意で、左に軽い麻痺はあったけど、

一応部活では三年間欠かさず都大会に行ける程度の能力はありました。

でも記録や勝ち負けには全然興味なくて、記録は全然伸びませんでした。

ただ部活が楽しいから適当に練習して、気の合うやつらと自由に体を動かしたくて。

まったく気を使わなくて済む、優しくてイジメのない環境で、

ぼーっと流れに身を任せて、流されるままに青春しました。

すごい受け身でしたし、なんとなく部活して、なんとなく勉強して、

ぼーっとしてても友達に恵まれて、ぼーっとしてても素敵な彼氏ができて、

なんとなく流れ的に東大受けて、でも嫌だから落ちて、

なんとなく希望してた大学に行けるなら良いかーって思ってました。

中学の時にバカみたいに勉強してたので、その貯金で大学受験はなんとかなりました。

文系私大だけどセンター試験で入っているので。

あの難解な社会の暗記は一切やっていません。ザ・裏口入学です。

別にパートナーにも不満がなかったし、このまま幸せの延長で、と。

私はそうやって「なんとかなるさ」と能天気にやっていたけれど、

環境と身体は限界でした。

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身体が限界の時用の人格に譲って、私は友達専用人格に降格した

別の私が書いてますが、親がパワハラ受けて高三で本当に失業しました。

それより鬱が深刻で……私も過労がたたって病んでしまいました。

この何にも考えてない、運動が得意で明るいだけの解離性障害な私が、

気づくと死のうとしてて、あれは流石にやばいと思いましたね。

けど、アダルトチルドレンって不思議で、親が病めば病むほど、

自分を追い込んで自分が大黒柱としてしっかりしようとするんです。

高校までは成績が良いだけでなんとか親も自立していたんですが、

今度は親のカウンセリングもいっそう手がかかるし、細心の注意が必要。

大学でも活躍していないといけないし、もちろん学業も優秀で当然で、

奨学金も稼がないとだし、バイトもしないとで、当時は教員志望だったので教職も取っていて、

親の置かれた状況を正確かつ的確に把握するために急いで勉強しなきゃならなかった。

私は理系でバイオ志望だったので、社会のことはニュースくらいしか知りませんでした。

だからとにかく急いで社会学や社会・経済政策を勉強しました。

社会福祉政策や、労働政策、障害者福祉、資本主義システムも急いで勉強しました。

もう恋愛とか友情どころじゃなくなってて、とにかく親を生きながらえさせることに必死すぎて。

その頃からは、元気で明るくて、でも空気が読めないイノシシみたいなポンコツな私に変わって、

企業の偉い人とも完璧な敬語で、学生とは思えない企画書を瞬殺で作る、

感情のない実務的な私がメインになりました。

大学2年の終わり頃には、私は飲み会や同窓会でしか出てこなくて、

運動する機会も、桐谷さんばりに忙しかった当時の私をサポートするために、一生懸命自転車を漕ぐ時くらいでした。

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今思えば、副交感神経系の、腹側迷走神経系が、私??

私はまだ治療中の身で、自分の診断名すらよくわかりません。

まだ「虐待サバイバーであることは確実」だから、その傷跡がどのように現れたか全容が分かりません。

自分という氷山が見えたにすぎず、

先生と「あーら、ずいぶんたくさんトラウマあるのね!」と驚いて

いま安心安全な場所から、専門家の先生と、自分という暗く冷たい氷山をのぞいている感じです。

でも多分ですが、私と、ブログを主に書いている子と、仕事している子と

大きく外に出ているのは概ねこの三人います。

他にも英語でしか感情を整理できない私とか、なんか難しいことをたくさん知ってる私とかがいて、

一般的なペルソナと言えるレベルよりちょっと変かな? という感じですね。

……と私も自分で書いていてびっくりしますけど。

でもこれだけは言わせてください。

たぶんね、みんなうすーく解離があります。ちょっとはキャラ変がある。

私の場合はやや違和感があるレベルなのと、記憶が分散しているので

「うーん、ギリギリ病気かな?」と主治医が悩むレベルです。

だから病気ではなく「自分探し」のレベルでもあります。

その意味では、会社員という役割や、親になった役割に縛られている人は

もしかしたら何か抑圧した自分がいるのかもしれません。

人格統合ではあるのでそういうタイトルにしていますが、

そんなに珍しい話でもないような気がするので、ご参考になれば幸いです。

結局、何かにこだわると成長しなくなりますから、

常にアウフヘーベンしかしません。

長くなるので次回に続きまーす!

うーん、いつもとテンション違いますが、

リアル友達が知ってるのはこのテンションですヽ(´▽`)/

だから、ブログの私を高校までの友達が見たら超驚くだろうなぁ笑

大学以降のリアル友達は、多分、このバカっぽい私には違和感あると思います(`_´)ゞ

どっちも本物です。この私は長いこと寝てましたので浦島太郎すぎて、

中高の友達に子供が産まれてるのに激しく動揺しつつ応援する毎日です(*^◯^*)

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