こんばんは、はっちの中の子供、というか高田純次成分の「ぴー」です。
小学生の頃から「すごいよ!マサルさん」に憧れていた変態です。
この度、このブログを頑張って書き留め続けてくれた、もう一人の私と合流しました。
名前は「ぺーさん」です。ぺーさんは、お外向けで、文字を書く人です。
記憶のある限り二人一緒でした
たぶんですが、これはどうにも検証のしようがありませんが、
記憶のある3歳頃からはすでに私たちは複数いました。
少なくとも、気の合う友達の前では私「ぴー」が出ていて、
怒鳴り合い、怒鳴りつけ、叩いてくる親に対しては無表情冷静沈着な「ぺーさん」が対応してくれていました。
そうでもしないと、まともに喰らってたら病むどころでは済まないので、
子供って自然と分裂するし、うちの場合はその後も状況が改善されず
むしろ転校だの手術だの親族問題だの転職だのリストラだの鬱だのガンだのと
とにかく家族問題てんこもりで忙しすぎたので、
そのままずーっとうまいこと分裂したままで今日まで暮らしてきました。
なんか変だな〜とはずっと思っていたけれど、専門家の先生とずっとお話しして、
うん、やっぱり分裂しているから一緒になろうね、となりました。
会社では全然バレなかった(*^◯^*)
私たち、とてもうまく交代できていたみたいで、会社では全然バレてません。
もともとは、みんなが「メタ認知」と呼ばれる方法??を使いまくっていたら、
その人が求める人格に変幻自在に変化する理性が「ぺーさん」として独立した感じ。
なので、顔は私で、脳みその中は「ぺーさん」なこともあったりします。
今日、大好きで超信頼できる先輩にこそっと言ってみました。
ぜーんぜんバレてなかったのでびっくり、でも安心しました!
私は会社とか怖くて影に隠れ続けて、「メタ」である「ぺーさん」が
鬱と解離でモヤがかかったまま、体もガチガチに緊張したまま、自分を偽ったまま、
すごい頑張って働いてくれました!!!
もとの私からすると……「ぺーさん」はなんでこの会社選んだのか謎です。
でも多分その当時としてはベストだったんでしょうね!
メタ認知と解離のあいだ
私は精神科医の先生や、カウンセラーの先生に、自分の人生をこう説明してきました。
「メタのメタのメタのメタのメタのメタのメタのメタのメタで生きている感覚」と。
ポンコツでガキでただ走り回りたいだけの自由人な「ぴー」と、
求められる人間をイメージし創造する「ぺーさん①」(いつも小説みたいに自分の人生が実況中継されている)、
それを演じようとキャラ設定と台本を書く「ぺーさん②」(いつも台本が字幕として流れている)、
ぺーさんの頑張りを陰からこそっと眺めている「ぴー②」(これがボーダーっぽい私)、
それを運動能力や表情など身体的に応援する「ぴー③」(学校で出ていたちょっと荒っぽい私)、
身体の応援を借りてさらに解離して望まれるパーソナリティを追求する「ペーさん③」(成績の記事で怒ってた悲しみのひと)、
そして冷静沈着で分析的に虎視眈々と考え続ける「ぺーさん④」(状況に対応するために私情を挟まない学問のひと)、
それらを全部ひっくるめて「はっち」として活動する「チーム」がいて、
それをさらに斜め上からそれを眺めている観察者がいて、
……というようにですね、頭の中がすっごい忙しかったんです。
……でもですね、つい半年前まで、みんなこうやってると思ってました。
状況分析して、戯曲の台本書いて、イメージの中で演じる練習して、演技指導して、
次する行動や言動が字幕として視覚の上の方をザーッと流れていて、
それをなぞるように体が頑張って行動して、それをさらに観察してフィードバックして、
またさらに次の次の次の展開、6手先くらいまでおおまかに予測して、
相手の出方次第で選択肢を10通り用意して、それらにすべて台本を作って、
どの出方で来ても冷静に即座に対応できるようにしておく、
というのが私の人生でずっと当然だったから。
けれどこれは「解離」というものを、超オリジナルに応用したものらしく、
普通の人は鍛えないと出来ない思考法なのだそうです。
とっても意外で、私からすると出来ない方が訳わかりません。
あ〜、なので、やっと、学生時代(特に前半)、みんなと話が噛み合わなかったんですね。
みんなの言動に台本がなさそうだし、監督がいなさそうだったのが、不思議でした。
演じなくても安全だと感じることが、解離の人が「うつヌケ」する最短ルートなんだって!
先生によりますと、ここまで演じまくらないと危険がいっぱいな家庭で育ったので、
よくわからないけれどそういう風に成長家庭で進化したらしいです。
今後は、別に演じたり、選択肢を予想することに脳の資源を割かなくて良いように、
「いまは安全なんだ」
「いまはそこまで頭を使わなくても、ボーッと生きてても殺されない」
と私の全員が思えることが大事だそうです。
やっぱりですね、もうね、危機管理に頭の力を使いすぎているので、
すっごい疲れるんですよ!!!
だから頑張りすぎて疲労を感じなくなってしまったり(双極性障害)、
自己愛強そうな男を見ると「殺される」フラッシュバックが起きたり(パニック症)、
計算できなかったり、とにかく大変で。
あと、同じように世界をみている人がほぼいないので、
みんなに合わせようと過剰適応する結果、みんなの非合理性が理解できず、詰む。
だから鬱になって思考を曇らせていた気がします。
鬱はつらいのでもうやりたくありません。
なんであんなに自責に時間を使ったのか謎です。
現実は、けっこう恵まれていたはずなんですけど。
だからですね、やはり虐待からの親子逆転はよろしくありません。
その子供(私)は、学校以外で、一度も自分の人生を生きられなかったから。
家庭と職場では、完璧に演じきらないと何をされるか分からなかったから。
どうですか、親御さんたち、怖いでしょう。
60過ぎて子供に捨てられるとよろしいです、そういうクズ大人は。
とっくの昔に子供を犠牲にして自分だけ助かろうとしたんだから、当然です!
ぺーさんの勝利宣言は、リアル世界に重なるイメージとして現れる
先ほども書きましたが、私は近未来映画みたいに、
リアルでみている視覚情報に乗せるような形で、いろんな情報が見えています。
たとえば、人と話しているけれど、
上の方には新幹線のフラッシュニュースみたいに猛スピードで文字が流れていたり、
写真記憶の過去が突然カットインしてきたり、
次の展開を考えるときには右側で演劇がはじまっていたりします。
特に計算の仕方が独特みたいです。みなさんはどうやって計算しますか?
私は筆算で紙に書かないと無理なんです。処理能力的に。視覚情報じゃないと。
暗算が必要な場合は、まず言葉で数字を暗記します。
それを数字のオブジェみたいにして目の前に左から並べます。
そしてオブジェを目で追いながら、目を開けたまま、イメージの中で筆算をします。
その答えをまた音で暗記して、口に出します。
その時々で麻雀牌に置き換えたり、ケーキを切るように割合をイメージしたりして、
数学的処理の苦手さを想像力で補ってきました。
もうひとつ、先生方に「不思議ね」と言われた日常があります。
私の中での会話は、基本的に字幕や演劇で行われます。
幻聴や幻覚はありません。
代わりに、幻覚ではなくて、今見ているものに被せて、こんな文字が出てきたりします。
「納得」(裁判の「勝訴」みたいに縦書きの筆文字で)
「祝!統合 肺胞、膨らんで良いってよ。」(「桐島、部活やめるってよ」的な横書きで)
二つ目の肺胞の話は、最初は紙ペラだったんですが、
段々と応援旗みたいに金刺繍が入ったすごい豪華なものになって、
最後はくす玉が割れて、肺胞同士がハイタッチしている感覚がありました。
メタ認知と幻覚の間くらいのものなのかも知れませんが、
いずれにしても困ってないので病気とは言えません。
家系的に統合失調症/自閉症遺伝子はもっているはずなので、
弱く症状が出ているのかも知れませんが、とても病気と言える範囲ではないです。
身体ベースに、理性と学問の私が分かれていった??
私はそんなに文章を構成したり編集したり論理的にするのが得意ではないので、
今後はブログっぽい感じになってしまうかもしれません。
でも、その変化も含めて、時系列で段々と問題となるテーマや年齢が変わっていることも
今後DIDや解離性障害や愛着障害、トラウマ、複雑性PTSDと立ち向かう方の参考になればと思います!
前回記事を書いたのは、14〜19歳で不条理を背負った私でしたが、
これを書いているのは、12歳でクソガキを謳歌して、1日5時間以上走り回っていた
サルな私です。すいません。理性のかけらもなくて。
まあ、ストレスでめっちゃ追い詰めれば、人間結構何でも出来るんですよ!
けどね、あの成績を誇りには思うし、良い経験したなあとは思いますが、
私はあれを誰かに自慢したことはないし、親と、バカ丸出しで安心できるパートナーに言っただけです。
20歳以降に出会ったみんなは、私のこと、吹奏楽部のお嬢様だって言うので、
別にそう思っていただけるならそれで良いし、それを訂正する気もないんです。
そこまで我を通そうという気持ちがない。
けど、やっぱり私は、ベースが運動神経系の人間なんですよね。
小学校のリレーの写真を見てびっくりしました。
私は学年で一番足が早かったけれど、当時から左足は45度内側に回っていました。
右足は前向いているけど、左足は骨盤から曲がっていたみたい。
それでも走れたし、それでもスポーツテストでは偏差値80でした。
本来誇りたいのは身体の感覚の鋭さとか、瞬発力とか、肺活量であって、成績じゃない。
「ぺーさん」と私が合作で頑張ったのがオール5や偏差値70です。
けどこの生き方、この成績の上げ方は、他の子には勧めたいとは少しも思いません。
むしろそんな野猿だった子供が、そんな成績取ってきたら、
そこ、親は喜ぶところじゃなくて、まして「俺の子だから当然」と言うところじゃなくて
「成績なんてどーでも良いから、走り回りなさい!」
って言ってくれるような親がよかったです。そしたら15年も鬱しなくて済んだ。
過去はきちんと過去にーーうまく書けるか分からないけど頑張ります
私たちがなぜか過酷な試練を生き残れたのは、たぶんもともと身体が強いんです。
だから危機の時代には身体に戻らざるを得なかったんだと思います。
昨年の年始は、まだ自分は「双極性障害でパニック症の、会社員」と思っていましたが
わずか1年でめまぐるしく過去は整理整頓され、
過去は過去、現在は現在になり、
他者への無闇矢鱈な「投影」戦争もかなり減って生きやすくなりました。
やっぱり記憶にないトラウマによって過去を生き続けていたことが原因だったみたい。
3歳以下のトラウマは普通に忘れてしまっていたし、
その後の親子逆転による小さな毒の積み重ねは「当然の日常」だったし、
18歳の記憶は、本当にいまだにまったく消去されて存在しません。
記憶喪失ヽ(´▽`)/ ほんとにあるんですね、記憶喪失って。笑える。
そのくらい辛かったんでしょうね。
ちゃんと反省は出来たから、好きなだけ忘れさせてあげたいです。
まだ、18歳の私が「禊」足りないみたいなので、もう少し過去トークが続くと思いますが、
PTG=心的外傷後成長の道はずーっと続くので、これからも頑張ります(^^)
よろしくお願いいたします(とフェリーが出港して横断幕が出ている)。
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