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トラウマの暴露療法(エクスポージャー療法)について〜パニック・PTSD治療〜

「治らない病」克服日記
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プライム

複雑性PTSDな自分のトラウマケアも仕上げに入ってきました。

私はかなりハイスピードでやっていますが、

本来はこのブログで経ている工程には三年を見込んでください。そこだけ注意。

さて、私の青春をぶっ潰してくれた最大の敵・東京大学へ行ってきました。

いわゆる暴露療法です。

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暴露するタイミングが超重要

私は散々、このブログで、小っ恥ずかしい醜態を晒しました。

東大受けてるのに行きたくないとかいう、本当にバカみたいな悩みです。

けど、みんなそれぞれ、馬鹿みたいな悩みがあるんです。

それを乗り越えるには、適切な手順が何より大事です。

おさらいになりますが書き記しますね。

①身体に安心感を作る

②自分の素の状態を知る

③楽な状態でいていいと自分に許可する

④過去のトラウマ的記憶を、写真や日記、信頼できる友人の言葉など「事実に基づいて」記憶を掘り起こす

⑤怖いもの見たさでもう一度やりたくなって来たら、少しずつ暴露する

暴露療法については、特にパニック障害では、かなり間違ったやり方が実践されていたりします。

パニック症の大半は、私の個人的見立てですが、背側迷走神経系の過緊張によるもので、

多くの友人が背中の強張りを併発しています。

であれば、まずはヨガや軽い運動や呼吸法で身体に安心感を作らないと

過敏状態=HSP状態はすぐに起こります。何度でも。

そして再トラウマ化して益々緊張していく……というわけ。

だから時間は最低3ヶ月かかりますが、身体ワークから始めねばならないんです。

ベンゾジアゼピン系の抗不安薬を飲んでも良いんですが……

それは『身体に刻まれたトラウマ』には効果がありません。

要するにトラウマというのは身体の記憶なので、身体の記憶を塗り変えなければいけない。

だから継続的なボディワークが必要なのです。

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怖いものを覗いてみたい/一年に一度のチャンス

トラウマにはいろんな種類があります。

私の東大トラウマは、2/25、2/26、3/10、3/14でなければ意味がありません。

それが国立大の前期入試と、合格発表、後期入試の日だから。

毎年その時期になると、普段はスケジュール管理できない私が

ああ2/25が来る、とソワソワするのです。

だからどうしても、後期日程にあたる今日、行かなきゃならなかったんです。

まだ早いかな……とは思いましたが、次は来年になってしまう。

身体はドキドキソワソワしてしっかりとトラウマの日付を刻んでいます。

だから、勇気を出して、行ってきました。

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行きの電車で久々のパニック発作の前兆

電車に乗り、いつも通り呼吸と瞑想をしましたが、

身体がいつも通りにいかない。

恐怖で強張っていくのです。

そして何度も何度も乗り換え案内を見るのに、

乗り換えが覚えられない。

何度も乗ってる京王井の頭線なのに、まるで初めて乗る気がする。

駒場東大前が近づくにつれ、眉間に皺がより、辛くて辛くて、

もうとにかく身体が嫌がっているのが分かりました。

ホームに降りた時、ハッキリ分かりました。

あの日帰りのホームで見た景色が。サムネです。

ただのホームなのに足がすくんで動かなくなりました。

2/25 夕方、42度の発熱してまで抵抗する身体と、

「明日もここで脳の実力を出さねばならない」前頭葉とが、

終わりなき矛盾を抱えて葛藤していたことに気付きました。

それはもう救いようのない地獄でした。

自分の身体は断固拒否。

自分の脳はイケイケと言う。

それであんなに熱が出たんでしょう。

平熱プラス6度って異常です。

トラウマとはそれほど迫力あるものなんです。

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過去と現在を、「敵」を前にして区別していく

私はあの頃、ちっぽけな18歳で、親に養われなければならない未成年でした。

でも今は、30超えて、自活して、父は死に、母とは縁を切っている。

もう縛り付けてるものは何もないのです。

「私はもう18歳じゃないんだ」

と繰り返しながら門の前でぼんやり学生さんたちを眺めていました。

私の大学時代の友人たちとは、まったく人種が違う、

ひょろっと細くて賢いけど内気そうな若者たちが目の前を通り過ぎる。

「私は……この人たちとは友達には、なれない」

やはり身体の声が勝ちました。

名声、勝利、学問の質、それよりも

私にとっては「学友と校風」が何より大事だったんです。

なぜか?

それは、私が遺伝子レベルで外向性が尋常でなく高いからです。

仲間が大事なんです、私には。

偏差値、負け犬のレッテル、そんなのどうでもよかった!

外交的で好奇心の塊みたいな人に囲まれていれば、

私は講義の質なんて低くても楽しめる。

それに気づいたのでした。

逆の方もいらっしゃるでしょう。

「友達なんてどうでも良い、一人で学問の質を極めたい」

それは素敵な価値観です。でも、私とは合わない。

どっちが良いも悪いもなくて、ただただ相性です。

トラウマとは、その人の「我慢出来るものと出来ないものの相性」なのかもしれません。

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もう、今は安全だーー暴露療法の完了

周囲を散歩してみても思いました。

私はあの目黒区や世田谷区、杉並区の道路の狭い感じが苦手。

団地っ子なので道路は広くないと嫌。

学校とはバカ騒ぎするところなので、

あんな住宅街にある学校じゃ大声出せない。

うん、やっぱり嫌。

ひとさまからしたら下らないトラウマですが、

東大を乗り越えることで、私は

・父親の期待から逃げ出した

・期待に応えない勇気を手に入れた

・過去と現在の区別がついた

・30半ばの自分自身と向き合えた

という大きな収穫を得ました。

特に最後のは大きかったです。

私はもう十分安全な場所にいて、

なんなら同級生の東大卒の子より遥かに勉強している。

それは一度も、その後の人生であぐらをかかなかったからです。

うん、そうだ、やっぱり、私は落ちてよかった。

落としてくれてありがとう!

心の中で呟き、同じサムネのホームからの景色を眺め、

「もう、大丈夫だ」と手応えを感じました。

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「不幸」は主観である

私はずっと高校時代は不幸だったと思っていました。

とにかく家庭が大変過ぎて……。

そのせいで青春のメインイベントの恋愛も滅茶苦茶になり、

もうあまり思い出したくなくて、忘れてしまいました。

が、久々にトラウマと向き合う中で、

「記憶が無いってことは、むしろストレスが少なかった?」

という仮設に辿り着き、

「それなら、一番記憶のない高校時代が、一番恵まれていたのかも?」

と、親友から始めて少しずつ色んな人と連絡をとってみました。

当時の日記や携帯電話(笑)、アルバム、プリクラ、全部見ました。

そこで、高校生の時が一番人相が良かったことに気づいたんです。

大学時代の写真は目がキツい。

高校の時の私は、どの写真も、楽しい時の顔をしていました。

そして勇気を出してみんなに、高校は楽しかったのか聞いてみたのです。

親友には、記憶を失っていることも伝えました。

そしたらびっくり。

どの友達も「私も楽しかったし、あなたはいつも楽しそうで元気だったよ」と言ってくれました。

鬱でパニックで親が……それも事実ですが、

学校にいる間、つまり家庭の外では

私は間違いなく恵まれた生活をしていたのです。

それこそがインタビュー取材で分かった事実です。

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なるべく客観的に暴露していく

トラウマって本当に引力が強いので

あらゆる磁場を歪めます。

私はみんなに嫌われているという自動思考があり、

何かあるとすぐ「どうせ嫌われているから」と殻にこもってきました。

それがまさか、親が3歳までにしたことだったなんて。

友達は私のことなんてどうとも思ってないし、どちらかと言えば無害だったようです。

全部、思い込み。

それも小児期トラウマのせい。

もう、トラウマとは、さようならすることにしました。

トラウマのおかげで良い成績取れたけれど、

本当は幸せだった現実を不幸だとねじ曲げるのは、嫌です。

それで自分の人生投げ出すのはもっと嫌。

私はトラウマを乗り越えます。

ぜひ、ご一緒に、粘り強く頑張りましょう。

諦めなければ道はありますから。

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