あまりにも激しいトラウマなので論理的に書くことは難しく、
散文的になることを予めお詫びしておきます。
生まれた時から、親に弱者マウンティングされてきた
私は多種多様なトラウマを経験しました。
トラウマなんて無い、とか言う方、ぜひお会いして議論しましょう。
3歳で「友達に殺されかけた」のはまだまだ全然ヌルいトラウマです。
やはりメインディッシュはこれでしょうね。
30年以上、父親を責任主体として看取り続けたこと。
親子が生まれた瞬間から逆転し、
私は常に愛する側であり、
弱者である父は愛を奪う側として
「弱者マウンティング」がすごかった。
母もそう。
いつもいつも「私はこんなに可哀想」と子どもの前で泣く。
私は仕方ないから慰めてあげる。
はい。失感情症の解離性障害で気分障害の障害者完成!
あえて皮肉に書きます。
父親が一番かわいそうでした。
日々、労働で身を粉にして、
5歳以降は透析治療のために週2回はシャントから血を噴き出しながら帰ってきた。
痛い痛いと騒ぎ、神経質で静かにすることを強要した。
一番良くなかったのは、常に
「俺が死んでも良いのか」
とモラハラを超えるレベルのモラハラ殺し文句を吐き続けたことですね。
「俺は家族のために働いて稼いでいる。病気で身体障害者一級なのに。そんな俺を殺すのか!」
ってよく怒ってました。
そこまで弱者マウントとられると
3歳でも痛みすら感じないレベルの解離性障害者になれます。
子供って本来は弱者です。
けど、私は、愛されるべきオモチャとして子供でいることは許されても、
本質的には家族で一番強くなければ居場所がなかった。
父は被害者、母も父の被害者、私はオーガナイザー
もう、このポジションに疲れました。
この世には被害者マウンティングしてくる人間が山ほどいます。
いかに自分が可哀想かアピールし
責任や不条理と向き合う労苦から逃げようとする。
特に、死ぬ、という不条理と向き合うには、
相当な知的体力が必要で面倒くさいです。
だから偉い学者でもみーんな観念論に逃げたがる。
私は看取りのことばかり30年以上考えてきました。
せっかくですから、看取りのリアルを記しますね。
看取りの三段階
①死期が明確になるまでの期間
②死ぬ直前〜死ぬ瞬間
③死の15分後以降
この3つに大分できます。
まず、最初から。
これはドイツの哲学者ハイデガーの言う、先駆的覚悟性というやつです。
終わりを見据えて人生を生き切ろうというもの。
それが出来ない人は過労で不治の病になったり、突然死したりしますね。
家族も先駆的覚悟性を持つことで、
実存的に自動的になり、いまやるべきことに集中し、結束力は上がります。
しかし、ストレスは貯まるので、弱いものイジメが始まります。
そうです、虐待です。
そして次。ここは100%家族の段階です。
私は人間の死期や死相がある程度分かります。
オカルトではなく訓練です。
祖父、大叔父二人の死期はほぼ的確に当てました。
祖父は見舞いに行ったその日に無くなりました。
そうやって死期のわかる人がいると、看取りはかなりスムーズです。
いない場合はみんなで慌てることになります。
さて、ラストです。
家族が多い場合、最も責任感の強い人が自動的に葬式の手配をし、
最も責任感の弱い人がさめざめと泣いて徳をする仕組みになっています。
人間社会一般と同じです。
そして③。
私は虐待されていたことも知らずに
父の死後30分後には既に複数の葬儀会社に見積もりを手配していました。
母は泣いていて、叔母も「早すぎる!」とか喚いていて手伝ってはくれませんでした。
泣く暇もなく粛々と電卓を弾き、霊柩車を手配していました。
本当は逃げだかった
日々血飛沫の舞う家庭。
日々死ぬ、痛い、と脅される家庭。
数年に一回命懸けの手術をする家庭。
それが私の日常です。
「今日学校でこんなことあって、友達と話して」
こんなこと一度もなかった。だから非日常です。
そんな家庭は想像もできません。
スプラッタで虐待モラハラされるのが私の家族イメージです。
だからわざわざ映画館でスプラッタ映画見る人の神経が分かりません。
人の血なんて毎日見られる。
父のベッドには血痕がたくさん。
透析の日の夜は動脈から血が吹き出す。
そんな家庭で、母親からはストレスのゴミ箱にされて育ち、
父親からは何故か子供の頃から
「会社員になれ。俺が死んだらお母さんを養え」
と言われていました。
高校くらいから言われなくなりましたけど……。
夢も希望もない「貧困予定家庭」
成績が良くなかったら、よくて女ガテン、真っ当に行ったら身を挺していた、
まあ、普通に考えたら裏社会に行っていたでしょうね。
地域的に中学生になるとスカウトがくる感じでしたから。
母はお嬢様育ちで贅沢者だったので
彼女を満足させる稼ぎをするとなるとかなり難しかったと思います。
彼女にまともな倫理観があるもは思えないし、何をさせてでも生活保護のスティグマからは逃げ、
パートタイムも続いたことがない人間なので私が働いていたでしょう。
「お母さんは可哀想」教に洗脳されたまま……。
小学生の頃までは、そんなディストピアな貧困予定家庭で育ちました。
夢なんて持ったことないですよ。
現実的な将来の選択肢は考えていましたが、
どう見ても収入の低い「パン屋さん」とか、
どう考えてもなれない「アイドル」なんて夢に浮かんだことすらない。
しょうもない父と、さらにしょうもない母を、一人っ子核家族で支えるって言うのは、
それほどまでに大変なことなんです。
トラウマの軽い人が、たまに羨ましい
トラウマ体質にも色々います。
私みたいに、本当に誰も頼る人が居ないケースは稀で、
多くの場合は誰か一人は味方になってくれる人がいます。
そういう人はなんだかんだで不平不満言って発散したり、
何かに依存してやり過ごすのが上手。
私は頼られるばかりで頼る相手が存在しません。
セラピストの先生以外に出会ったことがない。
5歳までに、ここまで孤独だった子供が、この世代では珍しいからです。
だから、過去をきちんと過去にして、トラウマを乗り越えない限り、
私はみんなの吐口としてしか機能できません。
だから乗り越えるんです、トラウマを。
0歳から30年、親の面倒を見てきた。
友達の面倒も、先生の責任逃れも許してきた。
居場所がなかったから……。
けれど今は違う。私はもう大人で自由です。
確かに小児期トラウマの塊みたいな人間だけれども、
今は自由に生きる権利がある。
責任感でがんじがらめの人生でした。
けど、もう、解離が解けはじめ、
父を看取る時に強く在るために、
痛みも
悲しみも
喜びも
愛着も愛情も
すべて何も感じない体質になって
ただただ親に望まれる人間を演じてきました。
やっと、終わります。
苦労が少なくて羨ましくて、距離を感じて孤独に変えることをやめ、
トラウマの無い圧倒的多数派のところへ勇気を出して入ってみます。
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