トラウマという大きな出来事を経験した時、
人はそれを「口実」にして障害者になることもあるし、「踏み台」にして成長することもあります。
私はその違いに一番興味があります。
一般的にはPTSDとPTGの境目はIQだと言われていますが、私は違うと思います。
その理由を、トラウマの種類で説明していきます。
なお、災害や交通事故やガンなどは一度きりのトラウマなので、ここではサバイバーの定義に含みません。
毎日毎日が再トラウマ化以外の何者でもない、終わらない系サバイバーを想定して書いています。
マズローの欲求段階説をおさらい
話を始める前にマズローの欲求段階説をおさらいします。
①生理的欲求
②安心安全の欲求
③所属と愛の欲求
④承認の欲求
⑤自己実現の欲求
→裏ルート 自己超越の欲求
①から順番に低次の欲求です。
マズローと虐待や家族問題を絡めて説明すると、
ネグレクト=育児放棄=孤児状態の子供は、①を経験していません。
いわゆる虐待や貧困やイジメは②を侵害します。
最近話題の教育虐待は、虐待ではありますが③より上の欲求を侵害しています。
また、身体障害やアトピーの有無によって、育ちには問題が無くても①が脅かされている人がいますね。
虐待サバイバーは世界でひとりぼっち、宇宙一孤独なように感じる理由
私は友達と会話が通じたという経験がありません。
友達の言っていることは理解できる。
友達はたくさんいるし、彼らは私と話すと嬉しそうな顔をしてくれる。
10歳以降はブログ以外に自分の本音を他者に開示したことがありません。
開示したところで、どうせ「変だ」と一刀両断されるだけだから。
人と話す時には80%聞き役に徹するようにしています。
最初にこちらが「自分下げ相手上げ」の自己開示をすると、必ず相手は良い気持ちになります。
マウントを取った上に、自分の自慢が出来ればドーパミン出ますからね。
小さい頃からこの仕組みを自然と認識していたし、
自分は自分の話を誰に出来なくても別に困らなかった。
生きている=生理的欲求が満たされていない幼児期を送りましたから、
生きているだけで十分なんです。別に不特定多数から承認されたいとか思わないんです。
そもそも、私の頭の中で起きている認知の様式を理解できた人は一人もいません。
それは優劣や善悪を言いたいつもりは1ミリもありません!
ではなくて、虐待され殺されかけ病気で死にかけた子供は、
良くも悪くもたった一人で自分で自分を守らねばならなかったために
子供ひとりとひり独自の「世界でひとりぼっち」の認知を獲得するため、
生まれてこの方、人間と会話が通じたという感覚がありません。
これがよく言う「虐待サバイバーは世界でたった一人のように感じる」という言葉につながるのでしょう。
「弱い者たちが夕暮れ 更に弱い者を叩く」
人間も動物です。
ヒトは自分より弱い者を瞬時に見抜く能力を持っています。
ですから、生きているだけで御の字の省エネサバイバーは、
「より弱い虐待」で傷ついた人に搾取される運命にあります。
つまり、家族に性虐待され続けた女性が、東大に入れ教育虐待された高収入家庭育ち男にDVされる、みたいな構図です。
これはちょっと複雑なので自分の例で説明しますね。
私は生きるか死ぬかの世界を生きていて、親も周囲の大人も友達も助けてくれなかった。
だから、誰かに頼るとか、何かに依存するという概念が獲得されていません。
だからタバコとかギャブルとか酒とかドラッグとか犯罪行為に依存しようと思いません。
だって間違いなく死に近づきますよね。
酒ってすごいと思うんです。
あんな警戒心ゼロで自分を曝け出しているということは、世界を安全だと無意識に思えているってことでしょう?
私は人生で一度も酔ったことがありません。
そもそもいつ殺されるか分からない認知の世界で生きているのに、
あんな無防備に酔っ払って本音を言える人がとてもとても素敵で羨ましいです。
私はきっと一生「酔っ払って何もかも忘れて安心する」ことは出来ないでしょう。
酔っ払っいより知識や努力や集中力はあるかもしれない。
けれど、酔っ払っえる、何か趣味に依存出来る、というのは、とても人間らしい高次なレベルであることがご理解いただけたでしょうか。
逆に、虐待サバイバーの別名とも言える「境界性パーソナリティ障害」の人は、関係性の依存症です。
私はBPD=ボーダーラインです。恐らくは高機能BPDでした。
先日、精神科医の鑑定でも、やはり境界例であることはほぼ確実と言われました。
つまりパーソナリティ障害の最高峰を上り詰めてしまった、ことが正式に分かったわけです。
よく、境界例が「外面が良いのに身内に激しい」と言われますが、
その気持ちは分かります。
けど、一旦、ブルーハーツの歌の歌詞を頭に入れてください。
「弱い者たちが夕暮れ 更に弱いものを叩く」
みんながみんな、生きているのが当然では、ない
いくら激しい教育虐待を受けたとしても、
赤ん坊の頃に養育者が交代しまくったりネグレクトされ続けたり死にかけ続けた人と、
子供の頃は一応「生きているのが当たり前」だった人とでは、
一見すると同じ学校や会社にいて同じような格好で同じ仕事や勉強をしていても、
欲求のレベルが違うんです。
何のために働くのか? 何のために勉強するのか? が、
実は人によって全然違うんです。
私は生きるために勉強している。
けれども圧倒的多数の同級生や同僚は、④承認や⑤自己実現のために努力している。
いわゆる毒親育ちと言われる人たちは、家族に過剰におもねるため、③所属と愛の欲求を満たすために行動します。
さて、ここで視点をひっくり返しますよ。
私が日々接しているエリートさんたちは、基本的に常に一番上の欲求=⑤自己実現の欲求とだけ戦っています。
独身貴族で恋人がいなくても全然大丈夫で仕事依存症の人なんかは、
もしかしたら、①〜③の欲求が小さい頃から欠乏したことがないから、
人生で一度も不安を感じたことがないため、考えるまでもないのかも知れません。
そういう人は孤独も怖くないし、コロナも怖くない。
だって「死ぬかも」「見捨てられるかも」という神経回路を使わな過ぎて、
脳科学用語で言うとシナプスの刈り込みが起こって、そういう想像力が故障しているのかも知れません。
本気のサバイバーがみんなに使い捨てられる可能性が高い件
ボーダーラインの人に対する世間の風当たりを思い出してください。
ボーダーは、外面は良いクセに急に暴れたり自傷したりしますね。
私は自傷するほどの自己肯定感が無いので自傷しませんけど……自傷できるボーダーさんがちょっと羨ましいです。
誰か助けてくれる可能性を想定してるってことですもんね……私は想定できないので死に少しでも近づく行為はしません。
けど待ってください。外面が良いから、その「被害者」さんはボーダーさんに近づいたんですよね。
嫌な言い方をしますよ。
ボーダーさんの痛みには想像が及ばずに、外面の良さを十分に楽しんだんですよね?
だからそれなりに近くに引き寄せたんですよね?
で、期待した通りの行動パターンが起こらないから、怒るわけです。
それはなぜかと言うと、サバイバーやボーダーさんは①生きているか死んでいるか分からない世界を生きていて、
「被害者」さんは③愛とか④承認とかもっと高度な人間的活動を欲している。
サバイバーも馬鹿じゃないので、人間社会では
「他人に対しては、④承認欲求を満たしてあげると喜ばれる」
ことは熟知しています。だから他人に対しては無限に優しくできる。
でも自分の欲求を出すくらい近くになると、
「そもそも私は生きているか死んでいるか分からないんだけど?」という本性が出てくる。
するとより人間的な人は、同じ日本人なのに生きるか死ぬかの低次元を生きている人がいるとは夢にも思いませんから、
目の前の人が意味不明なことを言っている、狂った、と感じます。
人生で一度も感じたことのない疑問を、切実に日々悩んでいる人を目の前にすると、
助けたいと思う殊勝な人と、「バカなの?」と突き放す人に分かれる。
私はおそらくは、サバイバーはサバイバーにしか癒せないと思っています。
闘うサバイバーが瀕死のサバイバーを救う構図
私は他人に助けを求めなかったし、
たまたま偶然、死にかけても死にかけても、助けを求めなくても生き残れました。
父親は気まぐれに、母親は気まぐれかつ定型的かつ事務的に私を育てました。
だから何故か危機をどう生き延びるのか、私はいつも自分で考えたり、
本や映像作品からヒントを得て体系化しました。
常に自分の中で言語化してマニュアル化してきました。
だから、いわゆる一般的な悩み相談レベルであれば、一度は自分で考えて試行錯誤してブラッシュアップ済みのマニュアルがある。
私はいくらでもみんなのサンドバッグになれます。
それを続けていくうちに、5歳くらいの頃にはすでに、
マズローの裏ルート「自己超越の欲求」に入ってしまった。
どうせこの世に生きていて、欲求は仮初のものでしかない。
そもそも愛着障害のために身体感覚が希薄で、解離性障害もある。
ならば自分という枠を超えた何かへの欲求に向かいました。
自己実現なんてどうでもいいんです。
承認なんてされなくていいんです。
生きていて、自分を超えられればそれで。
けどそんなリアルの私のところには、承認に飢えた人が集まってきます。
私は親にずっとそれをしてきたから、男の人も女の人も、
どうしたら承認欲求が満たされてドーパミン大爆発が起きるか知ってしまっています。
生まれた時から親子逆転してきた人は、誰かをマインドコントロールするなんて簡単です。
私は倫理観としてしないだけで。
愛と承認と自己実現に飢えた人たちを「引き寄せ」やすいんです。
けど、ある程度満たされると、彼ら彼女らは無意識レベルで満たされて去っていく。
私からしたらすべて予め用意されたプログラムを遂行しただけなのに。
サバイバーは孤独という運命を受け入れよう
これまでずっともがいてきた。
どこかの学問に答えが出ているんじゃないかと探し続けた。
ですが、遺伝子と胎児の安心安全と愛着理論、養育環境により
完全にオリジナルになってしまったサバイバーは、
やっぱり他人を理解することは出来ても、理解されることは決して無いんです。
そこはスッパリキッパリ諦めた方が良いですね。
ですが、この世で誰とも会話が通じないレベルのサバイバーさんは、
もう友達や家族や恋人とわかり合うのは完全に辞めて、
むしろ自分の感覚や身体性と「わかり合う」ことをおすすめします。
他人とは分かり合えません!
ならば、絶対にして唯一の味方である自分を知り尽くし、
人格が分裂している人は、分裂人格同士を仲直りさせる必要がある。
自分のケースでは、18歳の時に人格の喧嘩が起きて、それで鬱病になったことが分かってきたので、
暴露療法を交えながら、過去と現在を区別し、人格同士の喧嘩状態を仲裁しています。
恐らくはそれによって自分の資源を他人の承認欲求を満たして自分は鬱、というwin-loseの関係をしている限り、
サバイバーは「クソメンヘラ」と利用されて搾取され罵倒されゴミみたいに捨てられるループから抜けられません。
アドラーの言う「承認欲求の奴隷」な人は、近づけないようにバリアを貼っています。
そうでないとまるで新宿の炊き出しみたいに、
有象無象が私に無料で癒されたくてドーパミンが欲しくてわんさか酔ってくるからです。
あとがき〜記憶喪失って便利だなあ
私は不思議なほど怒りや嫉妬の感情がありません。
というか何も感じないんですね。
私をかつて一番近くで助けてくれた人たちも
用済みになったら去っていきました。
けれどそれは自然の摂理ですから、私はニーチェ先生の仰る永劫回帰への運命愛を実践しています。
しょせんそんなもの、な私で、意味も価値もない人生を楽しげに生きていく。
運命を恨まない、もちろん人も恨まない。
生きていけないほど辛い記憶は、丸ごと解離させて氷漬けにする。
この人生を誰かに強要したり自慢する気はありません。
けれど、極限状態の人が生き抜くときの何かのヒントになればなあと思って書き残しています。
……私を助けてくれた「神様」はもっと高次の人間でした。
分かってるんです、私たちがそもそも、何の共通言語も無かったことくらい。
それでも愛というものを信じて、みたかった。
人生で一回ですが愛してみて、信じてみて、良かったと思います。
結果は惨敗→記憶抹消。
でも少なくともトライしてよかった。
At least I triedというイスラエルのバンドUSLESS.I.D.の歌が好きで、失恋後いつも歌っていました。
記憶はなくなったけれど、私は少なくとも人間を信じようと全力を尽くしてみた。
やらないで不満を言う人、失敗が怖いから逃避する人を見ると、
その時だけは軽蔑の念が浮かびます。
だから永遠に学び続ける。いつかあのトラウマを克服したいから。
少しだけ、自分を捨てたことを後悔させたいという邪な気持ちもありますが、それは人間なので許されるでしょう。
応用行動分析学や、疫学統計学も学ぼう。
私は壊れた人間だけど、
壊れた人間は壊れた人間の生き方があるから。
私は壊されたら終わりではないことを証明していきたいと思っています。
3歳で物理的に殺されかけ、それを自分のせいにされ悪者を演じさせられた。
感染症で何度も何度も病室でひとりぼっちで死にかけた。
愛した人に裏切り者・嘘吐き呼ばわりされて捨てられて多重人格者になった。
でも、終わりじゃないんですよ。
終わらせない限り。
一緒に頑張りましょう。
コメント