赤ちゃんの声を聞くうちに酩酊してゆく
人生初の経験で驚きました。
今日、昼休みに、友達と少し電話で話したのです。
たまたま7ヶ月の子供ちゃんをあやしながらの会話でした。
最初は普通に話せていたのに……。
徐々に意識が朦朧とし、
いけないと思いつつ、
その幸せな赤ちゃんと自分の比較をしてしまいました……。
私は母親に抱きしめられる時、
「この後ろに回された手にはナイフがある? 爆弾? どうやって殺すつもり?」と
いつも身体を硬直させて、感覚を切り離して離人状態にして恐怖をやり過ごしてきました。
親に抱きしめられて嬉しかったこととか、無いですね。まさに殺される恐怖との戦いのみ!
背後に人に立たれると友達であっても払い除けたり睨んだりしていた、
それくらい酷いトラウマ状態でした。
これ、ガチ実話です。
オフィスに戻って椅子に座ったら
もうスーッと意識が遠のいて行き、
ソファで4時間意識を失っていました。
愛着トラウマ? のフラッシュバック
私は生後半年で父が本格的に病気になり、一歳で慢性腎炎と診断されました。
本来愛着を形成すべきときに、両親は多忙を極め、不安定で、
私もストレスからしょっちゅう感染症で高熱を出していた。
熱を出しても親はそれどころではない。親自身が生きるか死ぬかです。
だから、そんな温かな生後7ヶ月、私は知らない。
でも分かるんです、温かな方が正常だって。
けど……。青年期トラウマと違い、
乳児期は言葉も話せないしどうしようもなかった。
それできっと、解離をますます磨いたんですね。
外では明るく優しく元気な「本来の私」。
家では何も感じない「解離な私」。
痛み、熱、辛さ、寂しさ、悲しみ、怒り、すべて手放していった。
人格を分裂させながら……。
親が望む「良い子」を、半ば自嘲しながら演じ続けた。
バカバカしい、けど、この親はそんなに後先長く無い。それまで、頑張るんだ、自分!
ってね。
気づいた時にはもう30過ぎていて、自分が幸せを掴むにはtoo lateだった。
ACEの恐怖ーー癒されない傷
友田明美先生がお書きになっているように、
これだけ小さい赤ちゃんの頃の超強度ストレスって、
もう一体どう癒したら良いか難しいんですよね。
言語化出来る記憶じゃ無いし、
そもそも脳神経系が「それ用」にすべて作り替えられている。
うちの場合はたまたま母親が日記をつけており、
そこに事細かにネグレクト=育児放棄せざるを得なかった過程が描かれています。
必要最低限の世話をしてくれた親には感謝ですが、
私は一時期、親戚をたらい回されすぎて、
親元に戻っても親を親と認識出来なくなっていました。
3歳の時点では既に親を親とは思っていませんでしたし、
それくらい「親を見守り育てる孤児」として家庭に存在していると本人は思っていました。
子供を持つのは怖い
今まで、子供の声を聞くのすら嫌でした。
だから旅先のブッフェで騒いでいる子供がいると耳栓をしたりしていた。
それほどに子供が嫌い、怖い、回避したい対象でした。
最近は子供の声くらいなら何とかなります。
が、今日、あやされて癒される子供を見て失神したーー。
私は僅かばかり、そろそろ自分も子供を授かれるかも? なんて
甘っちょろい考えを持っていました。
けど、それは見事に打ち砕かれた。
18歳のとき、自分の幸せも可能性も全て捨てて父のために尽くした、
その同じことはその前の17年間もずっと繰り返されていて、
特に生まれてすぐ〜5歳までが地獄だったのはもう間違いありません。
その傷は少子化という形でブーメランしていることを、大人たちに知って欲しいです。
育てられないなら、見栄なんてはるな!
子供は親の所有物ではありません。
生まれた時から既に人格があります。
育てられないなら、ちゃんとSOS出してください!
保育園、乳児院、児童相談所、里親さん、色んな公的機関が助けてくれます。
私のような「欠陥品」をもう増やしたく無いんです。
お願いです、育てられないなら見栄を捨ててください。
プロがちきんと育てれば、こんな癒しようの無い劣等感を抱えなくて済む。
私のような「怖すぎて結婚なんて全然無理な大人」が増えない。
やはり子供は社会で育てるべきもので、
赤ちゃんを不安な環境で放置しても、「欠陥品」が増えるだけ。
私はその後、おかげさまで小児期トラウマを克服するだけの力をつけました。
小児期トラウマの無い人より、メンタルは強いし、実力もある。
でもね、結婚も、子育ても、とても怖いです。
この事実を多くの人に知って欲しい……それだけです。
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