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「治らない病」克服日記

恥ずかしい行為が子供に与える影響について 自己愛(モラハラ・DV・虐待)の二次被害

「治らない病」克服日記
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「恥ずかしい」って非常に人間にとって重要な感情ですよね。

みなさまはどんな人を「恥ずかしい人だ」と思いますか?

ご自身がどんなことをしてしまうと「恥ずかしい」と思いますか?

私は、周りが見えていない状態で破廉恥な自己主張をしてしまう状態を「恥ずかしい」と感じます。自分のやらかしでももちろん感じますし、道ゆく人の破廉恥な行いにも感じてしまいます。政治家や権力者の汚職でも恥ずかしさを感じます。

一方で、プレゼンやスピーチなど人前に立つことには「恥ずかしさ」を感じません。恋愛で積極的に行くことにも感じにくいかもしれません。

これについては本当に多種多様な感じ方があるかと存じます。最近、恥について非常に重要な学びがありましたのでシェアさせていただきます。

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他人の行いにも「恥」は感じる

一般的に恥というと、自分の行動や言動に対して感じるものだと思いがちです。

しかし、ほとんどの人間には共感する脳の機能ががっちり備わっています。

例示してみましょう。電車の中。どちらの人の隣に座りたいでしょうか?

①化粧をしながらガムをクッチャクッチャし、香水プンプン、大股を開いて席を3つ占領している人

②自分の席で静かにスマホをいじっている人

おそらく①を選ぶ人はいませんよね。隣にいたらこっちまで恥の感情が掻き立てられてしまいます。そんな負の体験をわざわざする必要がありません。

じゃあ、質問をちょっと変えます。

あなたの母親がこんな人だったら、あなたはどう思うでしょうか?どんなふうに付き合うでしょうか?

①外面ではものすごく評判が良い「理想のママ」で料理上手だが、自宅では子供である自分に愚痴三昧。嫌なことがあると我を忘れて数時間にわたり物を投げ散らかし、子供を「しつけ」と称して叩きまくる

父親は上場企業のエリート社員で「三高」。外では愛想も良い。しかし、家では妻を殴ったり暴言を吐き、アルコール依存症気味で帰宅は遅く、子供の勉強や進路について高めの目標を設定して叱責する

②外面はあまりよくなくて「あそこの奥さん無愛想ね」と言われているが、つねに感情が安定しており、質素な暮らし、ガーデニングを夫と楽しみ、子供を叩くことや子供に愚痴を吐くことはない

父親は出世コースからは縁遠く見た目も「頭髪薄めのオジサン」だが、週末は子供と釣りやキャッチボールを楽しむ趣味人。人柄は可もなく不可もない温厚な性格で、子供の進路は本人の自主性に任せる「金は出すけど口は出さないタイプ」

もしかしたら意見が分かれるかも……?とちょっと不安ですが、今回は①の親を「恥ずかしい人」として扱いわせていただきます。ご了承ください。

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破廉恥行為の被害に遭うと、自分自身も恥ずかしい人間にさせられる?

私が本ブログで「密室系核家族」を強いトーンで批判しているには理由があります。

もし気心知れた家族以外の人の目があれば、人間は「恥ずかしい」ためにそこまで狂った行動をしないからです。妻をボッコボコにしている姿をお隣さんに見られても平気な人は少ないですね。もし平気ならとっくに傷害罪でお縄になります。

でもそれが「カーテン・防音壁・密室」という条件が揃っていたら、もともと素質として暴力性が高い人は、安心して爆発させても良いぞと思ってしまうことがあります。

人間の倫理観はどうしても「バレない」という誘惑に弱いものなんですよね……。私も自宅では人様に見せられないようなボサボサ頭で生活していますから、非常に身に覚えがございます。

ただ、それがモラハラや虐待やDVとなると「相手」が絶対にいることになります。さらに夫→妻への暴力の場合、子供は「観客」としてそこに「存在させられる」ことになります。

ちょっとややこしいですが、一旦まとめます。

・加害者にとって外で見られたら恥ずかしいこと(身体的・心理的暴力)だが、家の中で、かつ甘えの対象である家族相手なら安心して発散させられる。なぜならバレて社会的評価が下がるリスクが非常に低いから

・被害者は「自分ではとてもじゃないが恥ずかしい・道徳的に無理」なことを、本来甘えの対象である家族からやられ続ける。自分自身の正しい倫理観を、自分の最も身近にいる(と自分の意思で決めている)人間から破られ続ける。その結果、「恥ずかしいことに協力させられている私」を恥ずかしいと感じてしまうようになることがある

という状態になります。この最後が実は重要です。

自らが選んだ相手(夫または妻)が、自分の倫理感を破壊してくることになす術がない、という恥ずかしい状態が続くと、そんな自分ごと恥ずかしくなってしまうことがあるんです。

これこそが虐待の「洗脳テクニック」でして、被害者をも「恥ずかしいことの共犯者」という意識に巻き込んでいくヤバいテクニックになります。

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自分を産んだ親が、見るに耐えない「恥ずかしすぎる人間」であるという一種の虐待

ここまでは夫婦間の事例で考えてきましたが、次は応用篇で親→子の虐待を考えます。

自分を守り保護してくれる唯一の相手である親が、自分の倫理観を破壊するような行為を自分にしてくる時の心理を考えてみます。先程の①の両親を想定しましょう。

<<子供につきつけられた事実>>

・自分の産みの親は、自分の機嫌が悪くなれば、他者に対して攻撃する。それは「愛している」相手でも例外ではない

・「家庭の外」では「成功」している人間が、「家庭の中」では倫理を侵している

・身内に対してであれば、感情的になって暴れたとしても責任を問われない

これは①親が子供に与えている客観的な事実です。では

<<子供の解釈 A 親と同調するルート>>

・家族とは罵り合いや殴り合いが許される間柄なんじゃないか?

・外で成功するためには、ストレスを身内に発散してもいいんじゃないか?

・他人とは、自分の感情を調節するために利用するものなんじゃないか?

こういう風に親のハレンチ行動を内面化して、親と同じDV野郎がコピーされていってもなんら不思議はありません。または、誤った倫理観を持ったために配偶者の虐待をガマンしてしまう大人になるかも知れませんね。いっぽうで

<<子供の解釈 B 親を反面教師にするルート>>

・自分の親は、最低限の道徳心も持たない恥ずかしい人間だ!

・それなのに自分は知力や体力が弱いために、親のハレンチ行為を止めることが出来ないし、「やめて」と言っても聞く耳を持たない

・親の最低な行為に強い怒りを感じる。でも親は改心しないし、自分も大きくなるまでは自立できない。今後もずっとこの恥ずかしさに耐えねばならないと思うと、無気力になる

Aの場合は、親がムシャクシャする気持ちを家族にぶつけたばかりに、子供の倫理観までイカれてしまいます。おそらくこの世の親御さんの中で、積極的に「よっしゃ、子供の倫理観をねじ曲げて、自分と同じ虐待人間を育てるぞ〜!」という方はいらっしゃらないと思いますから、思わぬ副産物ですよね。

Bの場合、子供は何も悪いことはしていません。むしろ被害者です。それなのに、自分の中に「恥ずかしさをどうしようもできなかった無力感」を抱え込まされています。こういった「未完了の感情」を持つ人は、さまざまな場面でその感情が掻き立てられて平静な判断ができなくなり、人生にネガティブな影響を及ぼします。

ほかにもいろんな「不適切な学び」が想定されますし、複数の学びをしてしまう場合も考えられます。結局は「他人に見られてダメなことは、家庭でもやるな」ということですね。

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親に恥ずかしさを抱え込まされたら?

私の両親は、家庭ではものすごく恥ずかしい人間でした。

特に母親は「目、鼻、口から液体を垂れ流し、鬼のような表情で殴りかかってくる上、日本語が通じないほどキメッキメ状態を3時間毎日」やるような人でした。

いま思い出してもとっても恥ずかしいです……。けれども、自分の親がそんな理性のない人間だと思いながら同じ家に住むことはできませんから、その「恥ずかしい」感情を感じないようにしていたんですね。

ポジティブ論者のように「感じない」のは、実はかなりメンタルに深刻なダメージを与えます。感情はそのまま素直に感じれば良いんです。

私が先生に教わった解毒法は以下のようなものです。

私「言われてみれば、うちの親は自分の倫理観的にはかなり恥ずかしい人間でした……

先生「でも、あなたはしないでしょ?それに今はもう親と離れても大丈夫でしょ?」

私「確かに。自分は我を忘れて誰かを殴ったり、無我夢中で罵ったりしたことはありません」

先生「その恥ずかしさはご両親が感じるべき恥ずかしさだったの。あなたはご両親に恥ずかしい思いをさせられたことを怒って良いのよ」

私「はずかしめられて怒るんですか?しかも今更?」

先生「感じないようにしても怒りは絶対にあるからね。ゆっくりで良いから、恥ずかしさを感じること。そしてそれが自分の恥ずかしさじゃなかったと感じること。自分はまともな倫理観を持っていたのに横から介入されたことにNO!って怒ること。その怒りを感じても自分は他人に迷惑をかけずに怒りを処理できることを感じること。それを繰り返しましょう」

これはもう本当に目から鱗でした。私は怒り狂う両親をなだめる担当だったために、自分自身の怒りを感じたことがあんまりありません。

さらに「怒り=恥ずかしい」と両親の偉大な教えがございますので(笑)、恥ずかしくて怒りを感じることすらできなくなっていたようです。

それでも人間である限り「怒り」からは逃れられないのだそう。だから適切に処理すれば怒っても全然いいのよという言葉にびっくりしました。

たしかに昔から友人はよく怒っていました。でも彼女らが怒ったからといって、友情が途切れたわけではありません。「怒らせてごめんね」「いや、怒ってごめんね」これで仲直り。

私が勝手に「怒るなんて自分らしくない!」と決めつけて肩肘はりすぎていただけのようです。この事例が参考になる方がいれば幸いです。

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虐待って、恥ずかしいことですよ?

「自分がされて嫌なこと、恥ずかしいことは、相手にはやらない」

あったりまえのことです。道徳の基本のきです。保育園年長さんはみんな知っています。

それを、「ムカつくから」「ムシャクシャするから」「気に入らないから」という本人の問題で自分以外の人を巻き込むのは最悪です。ご自分の気分の責任はご自分で取るべきです。

どんなに高級な学校にいれようが、塾に通わせようが、バイオリンを習わせようが、留学させようが、虐待行為を家庭内でやったら子供の人格に深すぎるダメージを与えます。

最初にみたように、性格が悪くても許されるのは「会社などの他人」だけ。ご自身のお子さんが親しい友人を作れず、将来のパートナーや子供に危害を加えずには生きられない人間にして本当にいいのですか?

子供は何もわかっていないなんて嘘です。私の場合は3歳の頃の恥ずかしさを今も持っていましたから。

恥の感情を上手に処理できない人間は「自己愛」に逃げ込みやすいと言われています。破廉恥親のせいで何もしていない子供が自己愛性パーソナリティ障害という性格の障害を負わされるなんて、不憫・不条理以外のなにものでもありませんよ。

無料でできる子供へのプレゼントは、親が「自分の機嫌は自分で取る」ということを背中で教えることだと痛感いたしました。

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