この一年ほど、とにかく頭で考えるのをやめておりまして、ブログを更新しておりませんでした。
まあ散々に具合の悪い日もあれば、ほどほどに元気な時もあって、3歩進んで2歩下がるような進捗。
とにかく散発的にいろんなことが身体で起きる。その際に脳を経由しないので、自分でも何が起きているのか、何が起きたのかさっぱりわからない、ということがずっと続きました。
このブログで言語化できたのは、治療初期の、まだ解離がしっかり完成されていて、私が自分の病気や身体と心の状態について仮説を立てられた頃まで。
この一年は身体のやりたいように任せていたので、書けることといったら「熱かった、痛かった、凝っていた、ゆるんだ」くらいだったんです。
ともあれ、なんかよくわからないけれど、確実に解離は使えなくなってきています。
今回はそんな経過を記したいと思います。
解離フル活用人間が、解離をやめたらどうなった?
以前の私は、自分で言うのも変ですが、ちょっと気持ち悪いレベルで計算高くてあざとい人間でした。
なにしろ解離を使いこなしていましたので、先の先の先の先の先の先の先くらいまで先読みをして、何パターンも行動や言動の予測と仮説を立てて、どのパターンに状況が転んでも絶対自分が損をしないように持っていく自信がありました。
というか、周りの人がそれが出来ないことが不思議で、「頭はいいのに、バカなの?」くらいに思わざるを得ないほど、思考回路が常人離れしていました。
ただし、これまで再三書いてまいりました通り、その反動で不眠やら人格障害やら不安障害やら双極性障害やら婦人科系疾患やらの病気の総合デパートと化していたわけです。
しかーし!真面目に治療すること3年半。使えなくなってしまいました。解離。
嘘だろって感じです。正直なところ。
でも不思議なほど、びっくりするほど、もう要らないんですよ。あんな力。
どっかの漫画みたいですよね。でも、もうそんな邪な力はいらない。王道で十分なんです。
そんなに気を張らなくても、気を使わなくても、別に一時損をしたところで、私の人生になんのデメリットもないと思えるようになった。
コンつめて働かなくても、友達に嫌われても、別に他人は他人。自分が生きたいように生きた結果として相手がどう思うかは相手次第なのでどうでもいい。そう思えるようになりました。
自分以外の人が圧倒的にどうでもよくなった「境界線」ワーク
トラウマの治療がある程度終わった段階から、半年ほど取り組んできたのが「バウンダリー(境界線)」のワークです。
トラウマってすごく簡単に乱暴に説明すると、
「他人に自分の身体が自由に操られてしまって、コントロール不能になった状態のまま時が止まっている」
ってことなんです。性的虐待がわかりやすいので例に挙げると、見知らぬオッサンに身体を蹂躙され、その強烈な負の記憶が身体に刻まれてしまい、認知ではもうどうにもならないほど脳も身体も壊れてしまうのがトラウマ患者さんですよね。
これは、オッサンと自分との境界が引くことが出来ないような悲惨な状況が発端にある。
一番最初に破られたのは境界であり、次に身体的な負の体験があるわけです。
このようにトラウマにはほぼ必ず、他者や自然災害などに「境界線を踏み越えられて踏み躙られた経験」がつきまといます。
境界性パーソナリティ障害さんがわかりやすいですが、トラウマ患者さんは相手へもズケズケ侵入して嫌がられがちだし、自分にもDV野郎やモラハラ野郎などの加害的な人間をわざわざ引き寄せたりします。身体的にも過度にオープンになりがちです。
これは正常な人間関係の距離感を、過去に加害者から踏み躙られた結果、距離感(境界線)について非常に混乱した人間になってしまうってことなんです。
だから治療の際にはセラピストさんと一緒に、自他の境界線を引き直す練習をするわけです。
これを延々と地道にやりました。
なんでも自分ごとにしてしまう癖に気づき、気づく度に「これ以上はしない、させない」という認知を構築していく地味な作業です。
でも、とにかく真面目に繰り返していくと、いままでがなんだったの?というくらい他人や社会や会社がどーでもよくなってしまいました。
ストレスはどこから来ていたのか?
結局、境界線を侵され続けてきた人(複雑性PTSDの人や境界性パーソナリティ障害の人)は、誰からも正しい境界線を教わらないまま、間違った世界観で生きているからストレスが異常に多かったんだと気づきました。
この世の人の大半は、自分のこと以外にまったく関心がありません。だから心が健康なのです。
毒親や犯罪者や天災によって身体を蹂躙されてこなかった人にとっては、嫌なものは嫌だから逃げるだけ。
嫌なものでも我慢して我慢して我慢して我慢して、戦って戦って戦って血みどろになっても戦い抜くのはトラウマの人だけです。
所詮人間は欠陥品ですから、嫌だと言う感情ごとどうにかすることはできず、結果として嫌なものからは距離を取らざるを得ないのですが、トラウマの人はそこで時間がかかって無駄なストレスを呼び込んでしまうんですね。
見るからにトラウマゼロな友人を見ていて洗脳から覚めました。
彼女は仕事が嫌ならスパッと辞める。眠くてだるかったら約束をドタキャンする。そうやって自分が壊れない分厚い境界線を作っている。
↑こんな行動をする人間は、絶対に「都合のいい人」「利用されるだけの人」にはなりません。
社会的に褒められたことではないかもしれないけれど、彼女はいつも絶対的に圧倒的に、見るからに健康です。
良い人じゃなきゃ生きてる資格がないって、誰が言った?
トラウマの人の約半分が盛大に勘違いしていることがあります。
それは「私は加害者みたいなクズに絶対なりたくない!私は良い人間でいるんだ!」という思い込みです。
確かに、我々を貶めた加害者はクズでゴミで人間のカスに間違いありません。
しかし、かつて被害者だった私たちが、DNAレベルで「良い人」をやり続けられる能力があるかというと、答えは否。
我々は意志の力で「良い人」をやっているだけであって、一皮むけばあの憎き加害者たちと同じ獣です。
好き嫌いと損得と「めんどくせー」で動く獣です。
よって、無理に無理を重ねて加害者とは逆の人生を歩もうとすると、ストレス過多で自分が病気になる、という、加害者丸トクループが完成するわけですね。
あんなクズになりたくない、という気概は高潔で素晴らしいのですが、自分の限界やダメさも認めないと壊れます。
そんなわけで頑張っています
と、こんな治療を地味に地道に続けております。
最近の私は、かつてに比べると本当にゴミ人間だと思います。
でも、健康にはなってきているような気がしますね。
ようやく解離性同一性障害についてもちょっと克服してきた感がありますので、これからこの超奇病についてあれこれ書けたらなと思っております。
それでは、また。
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